- 著者: Lin M, Wen Z, Zeng C, Jin Y, Zhou T, Yan Y, Huang S, Hu X, Guan X, Hu X, Zhang J
- Corresponding author: Jian Zhang (Phase I Clinical Trial Center, Fudan University Shanghai Cancer Center; jianz@fudan.edu.cn); Xichun Hu (Department of Medical Oncology, Fudan University Shanghai Cancer Center; huxichun@shca.org.cn); Xiaoxiang Guan (Department of Oncology, the First Affiliated Hospital of Nanjing Medical University; xguan@njmu.edu.cn)
- 雑誌: Nature Communications
- 発行年: 2026
- Epub日: 2026-04-23
- Article種別: Original Article
- PMID: 42103753
背景
トリプルネガティブ乳がん(TNBC: triple-negative breast cancer)の脳転移(BrMs: brain metastases)は、有効な全身療法が極めて乏しく、予後不良な重大なアンメットニーズである。HER2陽性乳がんでは標的療法の進歩により予後改善が見られるが、TNBC-BrMsに対する治療は依然として困難を極めている。医師選択化学療法(TPC: treatment of physician’s choice)の中央無増悪生存期間(PFS: progression-free survival)はわずか1.6ヶ月であり、抗Trop2抗体薬物複合体(ADC: antibody-drug conjugate)であるサシツズマブ ゴビテカン(SG: sacituzumab govitecan)でも中央PFSは2.8ヶ月に留まる。HER2-low発現を示すTNBC-BrMsに対するトラスツズマブ デルクステカン(T-DXd: trastuzumab deruxtecan)の治療効果も、中央PFSが4.1-5.4ヶ月と極めて限定的である。
脳は血液脳関門(BBB: blood-brain barrier)や血液腫瘍関門(BTB: blood-tumor barrier)によって特定の代謝産物の流入が厳しく制限されており、アミノ酸やグリシン、グルタミン酸の脳脊髄液(CSF: cerebrospinal fluid)中濃度が血漿に比べて著しく低い。また、脳内はトリアシルグリセロール(TAG: triacylglycerol)などの長鎖脂肪酸の貯蔵形態も他臓器に比べて極めて少ないという、独自の代謝微小環境を有している。先行研究において、Kennecke et al. (2010) は乳がんサブタイプによる転移挙動の差異を報告し、Zhang et al. (2015) は星状細胞由来のエクソソームが脳転移を促進することを示した。また、Zou et al. (2019) は星状細胞から分泌される多価不飽和脂肪酸が脳転移の進展に関与することを報告している。さらに、Jin et al. (2022) はミクログリアのM2分極が脳転移の定着を促進することを示した。しかしながら、これらの細胞間相互作用の知見に比して、TNBC細胞が脳の過酷な代謝微小環境に適応して生存・増殖するための代謝脆弱性については依然として「未解明」な部分が多く、治療標的としての探索は圧倒的に「不足」していた。脳転移巣がどのようにして脳特有の栄養飢餓状態を克服し、増殖を維持しているのかという代謝適応の分子メカニズムは、治療戦略を確立する上での大きな「gap」となっている。
目的
本研究の目的は、TNBC-BrMsにおける脳特異的な代謝適応機序を明らかにし、新規の治療標的を同定することである。具体的には、以下の4つのアプローチを通じて研究を遂行した。第一に、TNBCの原発腫瘍と、それに対応する同一患者由来の脳転移腫瘍の臨床検体を用いて、トランスクリプトームおよびプロテオミクスの統合解析を行い、両者の分子生物学的な差異を同定する。第二に、脳転移を有する患者から採取した対応するCSFと血漿のメタボローム解析を実施し、脳転移巣が直面する代謝微小環境の高解像度なプロファイルを構築する。第三に、in vivo CRISPR-Cas9 (clustered regularly interspaced short palindromic repeats-associated protein 9) 遺伝子ノックアウトスクリーンを用いて、脳環境特異的に腫瘍の生存と増殖に必須となる代謝関連遺伝子を網羅的に探索する。第四に、同定された最上位候補遺伝子である NDUFB9 (NADH: ubiquinone oxidoreductase subunit B9) について、その機能、分子生物学的機序、および脳転移特異的な治療標的としての可能性を、複数のマウスモデルや薬理学的阻害実験を用いて多角的に検証することを目指す。これにより、脳転移巣の増殖を選択的に抑制する革新的な治療戦略の基盤を確立する。
結果
in vivo CRISPRスクリーンによる脳特異的代謝脆弱性NDUFB9の同定: 脳転移巣特異的な治療標的を探索するため、TNBCBM-CK ライブラリを用いた in vivo 遺伝子ノックアウトスクリーンを実施した (Fig. 1)。in vitro 培養細胞と比較して、脳転移巣(BrMs群、n=5 mice)において有意に減少している sgRNA を解析したところ、最上位に NDUFB9 が同定され、その他に RAN、PTMA、PPP4C、HMGCS1 などの遺伝子がランクインした。一方、正所性腫瘍群(n=5 mice)において減少していた遺伝子は MTHFD2、TRMT112、CDC20、ATP2B2 であり、脳と乳腺脂肪パッドという異なる微小環境における遺伝的依存性の明確な差異が示された。さらに、BrMs群と正所性腫瘍群の複合解析を行った結果、脳転移巣特異的に強い選択圧を受ける遺伝子の大部分がミトコンドリア関連遺伝子(NDUFB9, SLC25A10, TOMM40, MRPL28, COX6A1)であることが判明した。同一遺伝子を標的とする複数の sgRNA が一貫して BrMs 群で log2FC の低下を示したことから、スクリーニングの極めて高い堅牢性が確認され、NDUFB9 が最有力候補として選定された。
NDUFB9欠損による脳転移特異的な増殖抑制効果: 同定された NDUFB9 の機能を検証するため、MDA-MB-231 細胞において NDUFB9 をノックアウトし、マウス心臓内注射モデルで評価した。その結果、対照群(n=7 mice)と比較して、NDUFB9-KO群(n=8 mice)では脳転移負荷が生物発光イメージング(BLI: bioluminescence imaging)において約100分の1(100-fold lower, p<0.001)に劇的に減少した (Fig. 2)。この脳転移抑制効果は、HCC1806 および 4T1 細胞株を用いたモデルでも同様に再現された。一方で、NDUFB9-KO は乳腺脂肪パッドにおける正所性腫瘍の増殖や、肺、骨、肝臓などの頭蓋外臓器への転移能には全く影響を与えなかった(p>0.05)。さらに、ドキシサイクリン誘導性 shRNA を用いた実験により、がん細胞が血液脳関門を通過した後の「定着後増殖段階」(7-12日目)において NDUFB9 をノックダウンしたマウスでは、播種段階(1-6日目)でのノックダウンと比較して脳転移負荷が有意に減少することが示され、NDUFB9 が脳実質内での増殖に必須であることが実証された。
NDUFB9欠損が引き起こす複合体I機能不全とアスパラギン酸合成阻害: NDUFB9 欠損がもたらす代謝変化を in vitro で解析した。メタボローム解析の結果、NDUFB9-KO 細胞ではトリカルボン酸(TCA: tricarboxylic acid)回路が最も有意に下方制御され、コハク酸、リンゴ酸、α-ケトグルタル酸、およびアスパラギン酸のレベルが著しく減少した (Fig. 3)。また、NDUFB9-KO はミトコンドリア膜電位を低下させ(p<0.001)、基礎酸素消費速度(OCR)および最大 OCR を有意に抑制した。興味深いことに、NDUFB9-KO 細胞では解糖系による ATP 産生が代償的に増加したため、総 ATP 産生量は維持されていた。電子顕微鏡解析では、NDUFB9-KO 細胞のミトコンドリアが円形化し、クリステ数(n=109 mitochondria in control vs n=86 in KO)が有意に減少している構造的異常が観察された。BN-PAGE 解析により、NDUFB9-KO は呼吸鎖複合体Iの量を減少させることが確認された。さらに、ミトコンドリア型 LbNOX を発現させて NAD+/NADH 比を回復させると、細胞内のアスパラギン酸レベルが有意に回復したことから(p<0.001)、NDUFB9 欠損によるアスパラギン酸合成阻害は、ミトコンドリア内での NAD+ 再生障害に起因することが明らかとなった。
脳微小環境の低アスパラギン濃度とNDUFB9欠損の相乗的dual-hit機序: なぜ NDUFB9 欠損が脳転移特異的に増殖を抑制するのかを解明するため、脳転移患者(n=3 patients)の対応する CSF と血漿サンプルのメタボローム解析を行った (Fig. 4)。その結果、CSF 中のアスパラギン濃度は血漿と比較して約8分の1(8-fold lower, 6 μmol/L vs 50 μmol/L, p=0.042)と極めて低濃度であることが判明した。in vitro において、血漿濃度のアスパラギン(50 μM)が存在する「血漿様培地」では NDUFB9-KO 細胞は正常に増殖したが、低アスパラギン(6 μM)の「CSF様培地」では増殖が著しく阻害された。低アスパラギン環境下では、細胞は ATF4(activating transcription factor 4)を活性化し、アスパラギン合成酵素(ASNS)を代償的に強く上方制御した (Fig. 5)。この ASNS の上方制御は、限られた細胞内アスパラギン酸をアスパラギン合成へと強制的に転用させるため、NDUFB9-KO によるアスパラギン酸合成低下(first hit)と、低アスパラギン環境による ASNS 介在性アスパラギン酸転用(second hit)が相乗し、細胞内のアスパラギン酸プールを完全に枯渇させ、新規核酸合成を阻害するという「dual-hit 機序」が実証された。
サブタイプ特異的感受性とNDUFB9標的ASOの治療的有用性: 乳がんサブタイプ間での感受性の違いを解析した。CPTAC および CBCGA データベースのプロテオミクス解析から、TNBC(basal-like サブタイプ)は他の乳がんサブタイプと比較して、もともと酸化的にリン酸化(OXPHOS)経路やアスパラギン酸合成酵素 GOT2(glutamic-oxaloacetic transaminase 2)の発現が低く、一方で下流の核酸・タンパク質合成需要が高いという「アスパラギン酸の需給不均衡」を抱えていることが判明した (Fig. 7)。これが、TNBC が NDUFB9 阻害に対して極めて高い選択的感受性を示す分子的根拠である。治療への応用として、臨床耐容量に相当する低用量(10 nM)の複合体I阻害薬 IACS-010759 は NDUFB9-KO と同様の代謝抑制効果を示し、マウスモデルにおいて脳転移を選択的に抑制したが、軽度の神経毒性を伴った。これに対し、腫瘍細胞で NDUFB9 が非腫瘍脳細胞よりも高発現している scRNA-seq データに基づき、NDUFB9 を標的とする ASO(200 μg)を脳室内投与したところ、神経毒性を全く示すことなく(p>0.05)、脳転移の増殖を劇的に抑制することに成功した。
考察/結論
本研究は、TNBC-BrMsにおける脳特異的な代謝脆弱性として呼吸鎖複合体Iサブユニット NDUFB9 を同定し、その詳細な分子機序を解明した。
先行研究との違い: 脳転移における代謝適応に関する「これまで」の報告では、GABA作動性表現型へのシフト、糖依存的な増殖、あるいは代替エネルギー源としての酢酸や脂質の利用などが中心であった。これらは主に脳内の「利用可能な栄養素への適応」に着目したものであった。しかし、本研究はそれら「と異なり」、脳微小環境における「特定の栄養素の欠乏(低アスパラギン)」という制約と、がん細胞固有ের代謝不均衡(アスパラギン酸の需給ギャップ)が組み合わさることで、本来は非必須アミノ酸であるアスパラギン酸の合成経路が致命的なボトルネックになるという、環境と腫瘍の相互作用による脆弱性を浮き彫りにした。
新規性: 本研究は、呼吸鎖複合体Iの超数サブユニットである NDUFB9 が、脳転移の定着後増殖に必須の役割を果たすことを「本研究で初めて」明らかにした。NDUFB9 の欠損が複合体Iの分解を誘導し、NAD+ 再生障害を介してアスパラギン酸合成を阻害すること、および脳内の低アスパラギン環境が ASNS の代償的上方的制御を介してアスパラギン酸をさらに枯渇させるという「dual-hit モデル」は、「これまで報告されていない」極めて「新規」な代謝適応・脆弱性の概念提示である。
臨床応用: 本研究の知見は、極めて予後不良で治療選択肢の乏しい TNBC 脳転移治療への「臨床応用」に直結する。「臨床적意義」として、全身投与では強い神経毒性を示す複合体I阻害薬(IACS-010759)に対し、腫瘍選択性の高い NDUFB9 を標的とした ASO を開発し、脳室内投与によって神経毒性を回避しながら劇的な脳転移抑制効果を示した点は、極めて高い「臨床的有用性」を持つ。これは、Ommayaリザーバーなどを介した局所投与経路を用いることで、実際の「臨床現場」における「translational」な治療戦略として有望である。
残された課題: 「今後の課題」として、いくつかの「limitation」が挙げられる。第一に、本研究で用いた NDUFB9 標的 ASO の最適な投与量、投与スケジュール、および血液脳関門を効率的に透過させるためのドラッグデリバリーシステムの開発が必要である。第二に、NDUFB9 阻害と、既存の標準治療である Trop2 標的 ADC(サシツズマブ ゴビテカン)や免疫チェックポイント阻害薬との併用効果について、そのシナジー効果を検証することが「今後の検討課題」である。第三に、脳以外の転移臓器(肺、骨、肝臓)において NDUFB9 欠損が抑制効果を示さなかった詳細なメカズムについて、各臓器の微小環境におけるアミノ酸プロファイルをさらに高解像度で実証する必要がある。
方法
本研究は、復旦大学上海がんセンター(FUSCC: Fudan University Shanghai Cancer Center)の倫理委員会の承認(No.1612167-18)を得て実施された。
臨床検体として、他臓器転移のない脳オリゴ転移を有するTNBC患者5名から、手術により切除されたホルマリン固定パラフィン包埋(FFPE: formalin-fixed paraffin-embedded)原発腫瘍および対応する脳転移腫瘍を回収した。レーザーキャプチャーマイクロディセクションにより腫瘍領域を単離し、RNA-seqおよび質量分析(MS: mass spectrometry)ベースのレーベルフリープロテオミクス解析を行った。
in vivo CRISPR-Cas9スクリーンを実施するため、原発腫瘍と比較して脳転移腫瘍で1.5倍以上発現が上昇していた499遺伝子を標的とする3,420本の sgRNA (single guide RNA)(各遺伝子に6本、および432本の非標的コントロール)を含む TNBCBM-CK ライブラリを構築した。このライブラリを、Cas9を安定発現するヒト乳がん細胞株 MDA-MB-231 に導入した。形質導入された細胞を、頭蓋内注射(BrMs群、n=5 mice)、乳腺脂肪パッド注入(正所性腫瘍群、n=5 mice)、および in vitro 培養(対照群)の3つの異なる選択圧条件下で維持した。18日後に腫瘍を採取し、ゲノムDNAを抽出して sgRNA の次世代シーケンスを行い、MAGeCK (Model-based Analysis of Genome-wide CRISPR-Cas9 Knockout) RRA (Robust Rank Aggregation) アルゴリズムを用いて依存性遺伝子を同定した。
機能検証実験では、CRISPR-Cas9システムを用いて NDUFB9 をノックアウト(KO: knockout)させた MDA-MB-231、HCC1806、およびマウス由来 4T1 細胞株を樹立した。これらの細胞を、6-7週齢の雌性 BALB/c nude マウスの左心室への心臓内注射、または直接的な脳実質内への立体定位注射により移植し、脳転移能を評価した。また、ドキシサイクリン誘導性 shRNA (short hairpin RNA) を用いて、播種段階(1-6日目)と定着後増殖段階(7-12日目)における NDUFB9 ノックダウンの影響を比較した。
代謝微小環境の解析として、患者から採取した対応するCSFおよび血漿サンプルのターゲットメタボローム解析を実施した。得られた濃度プロファイルを基に、ヒトCSFおよび血漿のアミノ酸・糖濃度を再現した「CSF様培地」および「血漿様培地」を調製し、in vitro での増殖アッセイを行った。さらに、U-[13C]-グルコースおよび U-[13C]-グルタミンを用いた安定同位体トレーサー実験、ミトコンドリア膜電位および酸素消費速度(OCR: oxygen consumption rate)の測定、ブルーネイティブポリアクリルアミドゲル電気泳動(BN-PAGE: blue-native polyacrylamide gel electrophoresis)による呼吸鎖複合体解析、乳酸菌由来NADH酸化酵素(LbNOX: Lactobacillus brevis NADH oxidase)の発現実験、アスパラギン酸輸送体 SLC1A3 (solute carrier family 1 member 3) やアスパラギン合成酵素(ASNS: asparagine synthetase)のノックダウンおよび過剰発現実験を行った。
治療効果の評価として、血液脳関門透過性の複合体I阻害薬 IACS-010759 (0.3 mg/kg) の経口投与、および NDUFB9 を標的とするホスホロチオエート修飾ギャップマーアンチセンスオリゴヌクレオチド(ASO: antisense oligonucleotide)(200 μg) の脳室内単回投与を行い、脳転移抑制効果と神経毒性を評価した。統計解析には、生存曲線の比較に log-rank 検定、多群比較に one-way ANOVA または Kruskal-Wallis 検定、2群比較に Student’s t-test または Mann-Whitney 検定を用いた。