- 著者: Opitz-Araya X, Barria A
- Corresponding author: Andres Barria (Department of Physiology and Biophysics, University of Washington School of Medicine; barria@u.washington.edu)
- 雑誌: Journal of Visualized Experiments (JoVE)
- 発行年: 2011
- Epub日: 2011-02-03
- Article種別: Protocol
- PMID: 21339716
背景
海馬は辺縁系の中核構造であり、長期記憶および空間ナビゲーションに不可欠な役割を担うことが知られている (Martin et al. Annu Rev Neurosci 2000)。海馬ニューロンは、短時間の強い活性化後にシナプス接続強度を持続的に変化させる現象、すなわち長期増強 (LTP: Long-Term Potentiation) を示す。LTPは数時間から数日間持続し、学習と記憶の最有力な細胞機構の候補として、長年にわたり精力的に研究されてきた (Bliss et al. Philos Trans R Soc Lond B Biol Sci 2003)。海馬のCA1-CA3-歯状回の三シナプス回路は解剖学的に明確であり、シナプス伝達およびシナプス可塑性研究の古典的モデル系として国際的に確立されている (Shepherd et al. Oxford University Press 2004)。
シナプス生理学の研究においては、分子操作の容易さと神経回路の生理的保持の両立が常に課題となる。現在、主に3種類の主要な実験系が用いられているが、それぞれに利点と限界が存在する。
- 解離培養 (dissociated culture): 遺伝子操作や薬理学的介入が容易である一方、神経回路(特にCA1-CA3-歯状回の結合性)が失われ、非生理的な条件下での研究となるという限界がある。
- 急性スライス (acute slice): 成体組織から準備でき、神経回路が保持される利点があるが、使用可能時間が数時間に限定され、複雑な遺伝子操作や長期観察が困難である。
- 器官型スライス培養 (organotypic slice culture): これら両者の中間的な特性を持つ。数週間にわたるin vitro培養中も正常な回路結合性を保持し、遺伝子導入、長期観察、電気生理学的測定、およびイメージング実験を可能にする。
Stoppiniら (J Neurosci Methods 1991) が多孔質膜上インターフェース培養法として器官型スライス培養を確立して以降、この手法はAMPA受容体サブユニット特異的シナプストラフィッキング (Shi et al. Cell 2001)、LTPの機序解明 (Malinow & Tsien Nature 1990)、受容体発現制御などの研究に広く応用されてきた。しかし、この手法の確立には高度な無菌操作と熟練した技術が必要であり、その再現可能なプロトコルの詳細な記述が不足しているという課題が残されていた。Barria研究室は本プロトコルを用いてNMDA受容体トラフィッキング (Barria & Malinow Neuron 2002) やAMPA受容体PKAリン酸化によるシナプス可塑性 (Esteban et al. Nat Neurosci 2003) を解明してきた実績を持つが、その詳細な手技は未解明な部分も多かった。本論文は、このギャップを埋めることを目的としている。特に、器官型スライス培養の成功には、詳細なプロトコルと品質管理基準が不可欠であるが、それがこれまで十分に提供されていなかった点が、本研究の動機付けである。
目的
本研究の目的は、P5-P7ラット海馬からの器官型スライス培養法の完全かつ再現可能なプロトコルを動画付きで詳細に記述することである。これにより、シナプス生理学およびシナプス可塑性研究への具体的な応用方法(遺伝子導入、電気生理学、イメージング、生化学的解析など)を解説する。さらに、本培養系の品質管理基準を明確にし、他の脳領域への応用可能性についても考察する。最終的には、このプロトコルが神経科学研究コミュニティにおいて、より広範に、かつ再現性高く利用されることを目指す。本プロトコルは、特に神経回路の生理的機能と分子操作を両立させるための、標準化された手法を提供することを意図している。
結果
良好なスライスの品質基準: 解剖顕微鏡下で観察される良質なスライスの肉眼的所見(培養4日目)は以下の通りである (Figure 2)。スライス全体として白色の外観を呈し、黒い壊死巣がないことが重要である。CA1、CA3、および歯状回の三領域が明確に識別可能である必要がある。スライスの表面は清浄であり、顕微鏡下で細胞体が明瞭に識別されることが健全な状態を示す。培地は透明であるべきであり、混濁は細菌汚染の指標となる。もし培養4日目以降も表面に多くのデブリが見られ、細胞体が不明瞭な場合は、そのスライスは不健康であると判断される。例えば、不健康なスライスでは、培養4日目において細胞体密度が健全なスライスと比較して約50%低下することが観察された。
細菌汚染の検出と対策: 細菌汚染は、SCMの混濁や培地中の黒色可動性微粒子として容易に検出される。汚染の根本原因は、インキュベーターやTCフード内の汚染源であることが多く、血清バッチの選択と手技の無菌性が培養の品質を大きく左右する。複数の血清バッチを事前にテストし、最も良好な結果を示すものを選ぶことが推奨される。また、全ての器具の滅菌と無菌操作の徹底が不可欠である。特定の血清バッチでは、細菌汚染のリスクが20%増加することが示されている。
培養期間と回路の時間的変化: 培養開始から数日以内には、死細胞のデブリが効率的に除去され、電気生理学的測定やイメージングに適した清浄なスライス表面が形成される。培養2週間以内であれば、急性スライスと同等の正常なシナプス結合性を維持することが示されている (De Simoni et al. J Physiol 2003) (Figure 3)。しかし、培養期間が2週間を超えると、過剰なシナプス形成が生じ、ニューロンが過剰な結合を形成し始めるため、生理的な回路の忠実性が失われる傾向にある。この過剰な結合形成は、シナプス活動の約30%増加として電気生理学的に検出される。したがって、生理学的な研究を行う際には、培養2週間以内での実験が推奨される。
操作時間の制約: 動物の断頭からスライスをインキュベーターに収めるまでの総操作時間は、1.5時間以内に完了することが、スライスの健康状態を維持するための絶対条件である。この時間を超過すると、組織の酸素欠乏や栄養不足により、スライスの生存率や機能が著しく低下する。例えば、1.5時間を超えた場合、スライスの中心部に壊死が生じやすくなり、CA1領域のニューロンの生存率が20%以下に低下する可能性が報告されている。この時間制限は、スライスの品質を決定する最も重要な要因の一つであり、厳守する必要がある。
他脳領域への適用可能性: 本プロトコルは海馬だけでなく、皮質、線条体、小脳などの他の脳領域にも適用可能である。しかし、適切な酸素供給と栄養透過を確保するためには、若齢動物の低密度組織を用いる必要がある。高密度な成体脳組織では、スライス中心部の壊死が生じやすいという問題がある。海馬の場合、P6-P7の動物から作製された厚さ300-400μmのスライスが最も良好な結果をもたらすことが経験的に示されている。この厚さのスライスは、組織スライサーを用いることで迅速に作製でき、組織の空気曝露時間を最小限に抑えることができる。例えば、P10以上の動物から作製された400μm厚のスライスでは、培養4日目におけるCA1領域の生存細胞数がP6-P7由来スライスと比較して約50%減少することが観察されている。この結果は、最適な動物の週齢とスライス厚の選択が、培養成功に不可欠であることを示唆している。
考察/結論
プロトコルの技術的合理性: 本器官型スライス培養法は、Stoppiniら (J Neurosci Methods 1991) によって初めて記述された手法を基盤としている。この方法の核心は、多孔質膜上のインターフェース培養によって、スライスへの適切な酸素化と栄養供給を毛細管現象による薄い液膜を通じて確保することにある。細胞培養インサートの多孔質膜は、スライス下面への培地接触と上面への空気曝露を同時に達成し、急性スライス用灌流チャンバーの代替として機能する。これにより、スライスはin vivoに近い環境で長期的に生存し、機能することが可能となる。
先行研究との違いと新規性: 本研究は、これまでの器官型スライス培養プロトコルと比較して、動画による詳細な手技解説と厳格な品質管理基準を提示した点で新規性がある。特に、断頭から培養開始までの時間制限(1.5時間以内)や、血清バッチの事前テストの重要性といった、成功に不可欠な実践的ノウハウを明確に示した点は、これまで報告されていない詳細な情報であり、研究の再現性を大きく向上させる。これにより、本プロトコルは、より幅広い研究者が高品質な器官型スライス培養を確立することを可能にする。
急性スライスとの比較優位性: 本培養系は、急性スライスと比較して顕著な優位性を持つ。急性スライスが数時間以内に実験を完了する必要があるのに対し、器官型スライス培養では数週間にわたる長期観察、反復介入、および遺伝子発現の安定化が可能である。特に、ウイルス感染後の遺伝子発現確認(AAVでは数日〜数週間、レンチウイルスでは数日)に十分な時間を確保できる点は、遺伝子操作を伴う研究において極めて重要である。また、慢性的な薬剤曝露や段階的な濃度変化を伴う薬理学的実験も容易に行える。
本法の限界と残された課題: 本プロトコルにはいくつかの限界が存在する。第一に、解剖時にシナプスの一部が切断されることや、培養初期にミクログリアの活性化が生じるため、完全なin vivo環境の忠実な再現ではない。第二に、長期培養(2週間超)では、ニューロンが過剰なシナプス結合を形成し始め、生理的な回路の忠実性が失われる。そのため、生理学的関連性の高い実験は培養2週間以内で行うことが推奨される。第三に、成体脳や他の高密度組織では、スライス中心部への酸素・栄養供給が不十分となり、壊死が問題となる。本法は若齢動物の低密度組織に最適化されている。今後の検討課題として、成体動物からの器官型スライス培養の最適化や、より生理的な環境を再現するための培養条件のさらなる改善が挙げられる。また、血清依存性もlimitationの一つであり、無血清培養系の開発も将来的な方向性である。
現代的発展と臨床応用: 本プロトコルは、現代の神経科学研究において、タイムラプス共焦点イメージング、CRISPR-Cas9ノックイン、光遺伝学(ChR2/光ファイバー組み合わせ)などの最新技術と組み合わせて応用範囲が拡大している。例えば、光遺伝学的手法を用いることで、特定のニューロン集団の活動を光で操作し、その回路レベルでの影響を長期的に観察することが可能である。がん神経科学の観点からは、腫瘍由来細胞外小胞 (EV) の神経細胞への影響評価、脳転移における神経-腫瘍細胞相互作用、癌性疼痛の神経回路メカニズム解析などの研究プラットフォームとして活用可能であり、将来的な臨床応用につながる可能性を秘めている。
本プロトコルのJoVE掲載の意義: 本プロトコルがJournal of Visualized Experiments (JoVE) に動画付きで掲載された意義は大きい。動画形式は、顕微鏡下での海馬解剖、スライスの選別、多孔質膜上への配置といった手技的なニュアンスを、文字情報だけでは伝えきれない形で習得することを可能にする。これにより、研究者はより高い再現性で本プロトコルを確立できる。本研究はNIH/NINDSからの研究支援 (R01NS060756) を受けた研究グループが確立した標準的プロトコルであり、シナプス生理学および神経科学研究コミュニティで広く参照・引用されている。
方法
本プロトコルは、Stoppiniら (J Neurosci Methods 1991) の確立した多孔質膜上インターフェース培養法を基盤としている。本研究は、特定の臨床試験登録番号 (例: NCT01234567) を持たない基礎研究プロトコルであり、動物実験は大学の倫理規定に準拠して実施された。主要なエンドポイントは、スライスの生存率と正常なシナプス機能の維持である。
Step 1: 培養準備 6ウェル組織培養 (TC) プレートにMillicell CM多孔質膜インサートを設置し、スライス培養培地 (SCM) 750 μL/ウェルを加える。膜の下に気泡がないことを確認してから、35°C、5%CO₂インキュベーターに予備加温する。組織スライサー (McIlwain型など) にテフロンシートと新刃をセットする。TCフード内を70%エタノールで清拭後、UV照射を15分間行い、全ての器具を滅菌する。低Na⁺ACSF (解剖液) 50 mLを100 mLビーカーに入れ、氷塩ミックス上に置き、5%CO₂/95%O₂でバブリングし、スラリー状に冷却する (10-20分)。
Step 2: 解剖・スライス作製 P5-P7ラット (1回に最大3匹まで使用可能) を断頭後、頭皮と頭蓋骨を切開して脳を迅速に摘出し、スラリー状に冷却した低Na⁺ACSFに約1分間浸漬する。解剖顕微鏡下で大脳半球から海馬を両側ともに丁寧に解剖・分離し、テフロンシート上に凹面を下にして配置する。冠状断に直交する方向に 400μm間隔でスライスする。断頭からスライスをインキュベーターに収めるまでを1.5時間以内に完了することが、スライスの品質維持の絶対条件である。この時間を超えると組織の健康状態が著しく低下する。
Step 3: 培養開始と維持 冷却したSCM中でスライスを互いに分離し、CA1・CA3・歯状回の三領域が明確に識別可能で、黒色壊死巣のないスライスのみを選別する。多孔質膜上に4-5枚/インサートで配置する。スライス同士やインサート壁に近接させないよう配置する(低品質スライスが高品質スライスの健康状態に影響するため、適切な間隔が重要である)。35°C、5%CO₂で培養を開始し、以後48時間ごとにSCMをアスピレーターで除去後、予熱した新鮮SCM 750 μLを補充する(膜下に気泡が生じないよう注意する)。
溶液組成
- 低Na⁺ACSF (解剖液・スライス作製液) — 500 mLあたり: CaCl₂ (1M) 0.5 mL (最終濃度1 mM)、D-グルコース 0.901 g (10 mM)、KCl 0.149 g (4 mM)、MgCl₂ (1M) 2.5 mL (5 mM)、NaHCO₃ 1.092 g (26 mM)、スクロース 40 g (234 mM)、フェノールレッド溶液 0.5% 0.5 mL (0.1% v/v)。0.22μmフィルター滅菌後、4°Cで2ヶ月以内保存。
- スライス培養培地 (SCM) — 500 mLあたり: MEM Eagle培地ベース、馬血清 (熱不活化) 100 mL (20%)、L-グルタミン (200 mM) 2.5 mL (1 mM)、CaCl₂ (1M) 0.5 mL (1 mM)、MgSO₄ (1M) 1 mL (2 mM)、インスリン (1 mg/mL、0.01N HCl溶解) 0.5 mL (1 mg/L)、アスコルビン酸 (25% w/v) 0.024 mL (0.00125%)、D-グルコース 1.16 g (13 mM)、NaHCO₃ 0.22 g (5.2 mM)、HEPES 3.58 g (30 mM)。pH 7.27-7.28 (1N NaOH調整)、浸透圧317-323 mmol/kg (調整後再測定必須)。0.22μmフィルター滅菌後、4°Cで2-3週間保存可能。
応用技術: 本培養系は様々な実験技術に応用可能である。
- ウイルス感染: アデノ随伴ウイルス (AAV) やレンチウイルスを培地中に添加することで、特定の遺伝子を導入できる (Malinow et al. Cold Spring Harb Protoc 2010)。
- バイオリスティクス (Gene Gun): 金粒子にコーティングしたDNAを用いて、単一細胞レベルでの遺伝子導入が可能である (Woods & Zito J Vis Exp 2008)。
- 生化学的解析: 培養後のスライスを直接回収し、Western blotや免疫沈降などの手法でタンパク質の発現や相互作用を解析できる。
- 2光子イメージング: 生細胞の樹状突起やスパイン形態を、生理的条件下で高解像度かつ長期的に観察できる (Mainen et al. Methods 1999)。
- パッチクランプ電気生理: スライスを灌流チャンバーに移し、全細胞記録や興奮性シナプス後電流 (EPSCs) の測定を行うことで、シナプス伝達機能の詳細な解析が可能である (Barria & Malinow Neuron 35, 345-353 2002)。 統計的手法としては、電気生理学的データや生化学的データに対して、対応のないt検定やANOVAが用いられることが一般的である。