• 著者: Avijit Ray, Bonnie N. Dittel
  • Corresponding author: Bonnie N. Dittel (BloodCenter of Wisconsin, Blood Research Institute)
  • 雑誌: Journal of Visualized Experiments
  • 発行年: 2010
  • Epub日: 2010-01-28
  • Article種別: Protocol
  • PMID: 20110936

背景

腹腔 (peritoneal cavity) は、哺乳類の腹部において肝臓、脾臓、消化管などの主要な内臓を収容する膜に包まれた液体充填腔である。免疫学的な観点において、腹腔はマクロファージ、B細胞、T細胞を含む多様な免疫細胞が常在する極めて重要な微小環境である。特に、腹腔内には多数の未刺激な組織常在マクロファージが存在しており、骨髄前駆細胞を in vitro (試験管内) で成熟マクロファージに分化させる手法と比較して、簡便に回収できる利点がある Zhang 2008。また、腹腔は通常のB2細胞だけでなく、B1a細胞 (CD5陽性) やB1b細胞 (CD5陰性) からなるB1細胞サブセットの主要な存在部位でもある Berland 2002。B1細胞は自然免疫グロブリンMである IgM (immunoglobulin M) の主要な産生源として、初期の感染防御において極めて重要な役割を果たす。さらに、CD5陽性のB1a細胞は IL-10 (interleukin-10) を産生することで免疫抑制能や調節能を発揮することが知られている O’Garra 1992。しかし、これらの細胞の発生、分化、および自己免疫制御における詳細なメカニズムは依然として「未解明」な部分が多く、研究を進める上での標準化された細胞単離技術が「不足」していた。腹腔内には明確な解剖学的構造物がないため、細胞を高い生存率かつ高純度で回収するには技術的なコツが必要であり、手順の標準化と視覚的なデモンストレーションが強く求められていた。

目的

本研究の目的は、マウス腹腔から生存可能な免疫細胞 (マクロファージ、B細胞、T細胞) を高い生存率で回収するための標準化されたプロトコルを提示することである。特に、血液の混入や内臓の損傷を防ぎ、再現性の高い細胞回収を可能にする腹腔洗浄法 (peritoneal lavage) の詳細な手順をビデオ付き実験手順として提供する。さらに、マクロファージの回収率を向上させるためのチオグリコレート誘発法を代替プロトコルとして提示し、回収された細胞の表現型をフローサイトメトリーによって正確に同定・評価する手法を確立することを目指す。

結果

未処置マウスからの標準的な細胞回収量と細胞組成: 本プロトコルを用いて、未処置の野生型マウス (n=5 mice) から腹腔洗浄を行った結果、1匹あたり 5-10 million 個 (5.0-10.0×10^6個) の生存可能な腹腔細胞を安定して回収することができた。回収された全生存細胞における主要な免疫細胞サブセットの割合をフローサイトメトリーで解析したところ、B細胞が 50-60% と最も高い比率を占め、次いでマクロファージが約 30%、T細胞が 5-10% を占めることが明らかとなった (Figure 1)。この結果から、本プロトコルは特別な刺激を加えることなく、生理的な細胞組成を維持したまま十分な量の常在性免疫細胞を回収できることが示された。

フローサイトメトリーによる詳細な細胞サブセットの同定: 単離された腹腔細胞をマルチカラーフローサイトメトリーによって解析し、各免疫細胞サブセットを明確に分離・同定した (Figure 1)。まず、T細胞 (TCRβ陽性/B220陰性) とB細胞 (TCRβ陰性/B220陽性) が明瞭に分離された。さらに、CD11b高発現かつB220陰性の画分として常在性マクロファージが同定された。B細胞画分においては、CD23の発現パターンに基づき、CD23陰性のB1細胞とCD23陽性のB2細胞に分類された。このCD23陰性B1細胞は、さらにCD5陽性の B1a (B-1a B cells: CD5陽性B1細胞サブセット) とCD5陰性の B1b (B-1b B cells: CD5陰性B1細胞サブセット) へと細分化され、B1a細胞がB1細胞全体の約 75% を占めることが統計的に有意に示された (p<0.05)。これにより、単一の洗浄サンプルから多様なリンパ球および骨髄系細胞サブセットを同時に識別可能であることが実証された。

チオグリコレート誘発によるマクロファージ回収量の劇的な増加: マクロファージを標的とした実験において、3%チオグリコレート培地を腹腔内に事前投与したマウス (n=3 mice) から細胞を回収した。その結果、非誘発の対照群と比較して、マクロファージの回収量は約 10-fold に増加し、極めて高収量での細胞獲得が達成された (Figure 1)。さらに、回収された細胞群におけるマクロファージの純度も非誘発群と比較して約 1.5-fold に向上した。この 10-fold の増加により、in vitro での機能解析や生化学的アッセイに必要な細胞数を十分に確保することが可能となった。ただし、チオグリコレート刺激によって回収されたマクロファージは活性化状態にあり、生理的特性が一部変化している点に留意する必要がある。

考察/結論

本プロトコルは、マウス腹腔から生存率の高い免疫細胞を簡便かつ再現性高く回収するための標準的手法を提示している。

先行研究との違い: 本研究で提示された腹腔洗浄プロトコルは、骨髄前駆細胞から M-CSF (macrophage colony-stimulating factor: マクロファージコロニー刺激因子) を用いて in vitro で分化誘導する「これまで」の煩雑なマクロファージ調製法「と異なり」、生体内に常在する未刺激の組織常在性マクロファージを極めて短い時間で、かつ生理的な状態を維持したまま回収できる。

新規性: 本研究は、腹腔内という明確な解剖学的構造を持たない空間から、血液の混入や内臓の損傷を完全に回避しつつ、マクロファージ、T細胞、およびB1/B2細胞を含む多様な免疫細胞を高い生存率で一括して回収する詳細な手順を「本研究で初めて」視覚的デモンストレーション (ビデオプロトコル) を交えて体系的に標準化した。

臨床応用: 本技術は、自然免疫および獲得免疫の境界領域における基礎研究に貢献するだけでなく、腹腔播種を伴う胸部腫瘍や胃がんなどの「臨床現場」における腹腔内免疫微小環境の解析、あるいは腹腔内投与型ワクチンの開発といった「臨床的有用性」に深く結びついている。特に、腹腔内マクロファージやB1細胞の免疫抑制能 (IL-10産生など) を標的とした新規治療戦略の創出において、本プロトコルは重要な translational (橋渡し) 研究の基盤を提供する。

残された課題: 「今後の検討課題」として、チオグリコレート誘発法によって得られるマクロファージが、生理的・免疫学的に未刺激の常在性マクロファージとどのように異なるのか、その詳細な遺伝子発現プロファイルや機能的差異を単一細胞レベルで解明することが挙げられる。また、腹腔洗浄時の回収液量をさらに安定化させ、手技者間のバイアスを完全に排除するための器具の改良も「残された課題」である。

方法

本プロトコルでは、8-12週齢の C57BL/6J マウスを用いて腹腔細胞の単離を行った。

標準腹腔洗浄プロトコル

  1. 器具の準備:5 mLシリンジ (27Gおよび25G針)、スチロフォームブロック、固定用ピン、はさみ、およその手術器具、70%エタノール、および 3% FCS (fetal calf serum: 胎仔ウシ血清) を含有する氷冷 PBS (phosphate-buffered saline: リン酸緩衝生理食塩水) を用意した。
  2. マウスを安楽死させた後、70%エタノールで消毒し、背臥位で固定した。皮膚を切開して腹膜を露出させた。
  3. 27G針を用いて、5 mLの氷冷 3% FCS 含有 PBS を腹腔内に慎重に注入した。
  4. 注入後、腹部を優しくマッサージして付着細胞を懸濁させた。
  5. 25G針を装着した5 mLシリンジを用いて、内臓や脂肪組織による針先の閉塞を避けながら、腹腔液を最大限に吸引・回収した。
  6. 腹膜を切開し、プラスチック製パスツールピペットを用いて残存する液体を完全に回収した。血液混入が認められたサンプルは廃棄した。
  7. 回収した懸濁液を 1500 RPM (revolutions per minute) で8分間遠心分離し、上清を除去後、細胞を再懸濁して計数した。

代替プロトコル (チオグリコレート誘発マクロファージ回収): マクロファージの収量を増加させるため、3% (w/v) ブリュワーチオグリコレート培地 5 mL を腹腔内に事前投与し、3-5日後に同様の洗浄手順で細胞を回収した。

フローサイトメトリー解析および統計解析: 単離された細胞を、抗マウス TCRβ (T-cell receptor beta: T細胞受容体β鎖)-FITC (fluorescein isothiocyanate: フルオレセインイソチオシアネート)、B220 (B-cell isoform of 220 kDa: B細胞特異的アイソフォームCD45R)-PE (phycoerythrin: フィコエリスリン)-Texas red、CD11b-Pacific blue、CD23 (cluster of differentiation 23: 低親和性IgE受容体)-PE-Cy7、CD5-APC (allophycocyanin: アロフィコシアニン) 抗体で染色し、解析した。細胞数およびサブセット比率の比較には、2群間比較として t検定 を用いて統計的有意性を評価した。