- 著者: Timothy J. R. Harris, Frank McCormick
- Corresponding author: Timothy J. R. Harris (National Cancer Institute at Frederick)
- 雑誌: Nature Reviews Clinical Oncology
- 発行年: 2010
- Epub日: 2010-03-30
- Article種別: Review
- PMID: 20351699
背景
がん細胞の分子機構の理解は、2000 年代以降の DNA (deoxyribonucleic acid) シークエンシング技術の急速な進歩によって根本的に変わりつつあった。Druker et al. (2001) は CML (chronic myelogenous leukemia: 慢性骨髄性白血病) の BCR-ABL (Breakpoint Cluster Region Abelson kinase) を標的とするイマチニブの劇的な奏効を示し、oncogene addiction 概念が臨床的に実証された最初の事例を提供した。Lynch et al. (2004) と Paez et al. (2004) はほぼ同時に EGFR (epidermal growth factor receptor: 上皮成長因子受容体) 変異と EGFR 阻害薬 (ゲフィチニブ) への感受性の連関を報告し、変異特異的な分子標的治療の概念を確立した。Soda et al. (2007) は NSCLC (non-small-cell lung cancer: 非小細胞肺がん) における EML4-ALK (Echinoderm Microtubule Linkage kinase) 融合遺伝子を発見し、融合がん遺伝子が固形腫瘍における新たな標的クラスとなることを示した。
しかし当時、これらの知見はがん種ごとに個別に蓄積されており、横断的な分子病理学として体系化されていない点が根本的なギャップであり未確立であった。NGS (next-generation sequencing: 次世代シークエンシング) 技術の急速な発展により全ゲノム解析が現実的となったが、「どのがん種に・どのドライバー変異が存在し・どの治療と組み合わせるか」という統合的な分子病理学フレームワークが未解明のままであった。伴走診断 (companion diagnostic) の整備も黎明期であり、KRAS 変異検査・HER2 (human epidermal growth factor receptor 2) 検査の一部を除き、多くの分子マーカーは臨床的に活用されていなかった。何が足りなかったかを言えば、がん種横断的なドライバー変異地図と伴走診断の臨床実装指針を統合したレビューが存在しなかった点である。
目的
NGS・GWAS (genome-wide association studies: ゲノムワイド関連解析)・遺伝子発現プロファイリングを中心とする技術進歩を概観し、主要固形腫瘍 (肺・大腸・乳・前立腺・黒色腫) および血液腫瘍 (CML・AML (acute myeloid leukemia: 急性骨髄性白血病)・ALL (acute lymphoblastic leukemia: 急性リンパ性白血病)・CLL・非ホジキンリンパ腫) におけるドライバー変異と診断・治療への臨床応用を体系的に整理する。特に伴走診断の実例と遺伝子発現検査の臨床適用、および 2020 年代の分子病理学革命が患者・臨床医・製薬企業に与えるインパクトを論じる。
結果
技術革命とゲノム解析インフラ:NGS・GWAS がもたらす分子病理学の変革:NGS の急速な普及により、がんゲノムの網羅的変異解析が現実的となった (Fig. 1 参照)。シークエンシングコストは半導体のムーアの法則を超える速度で低下しつつあり、Illumina Genome Analyzer・Roche 454 GS (genome sequencer) FLX (flexible long-read sequencing platform)・Life Technologies SOLiD (sequencing by oligonucleotide ligation and detection) といったプラットフォームが体細胞変異・コピー数変化・染色体転座の網羅的検出を実現した。シークエンシングコストは 2008-2010 年の 2 年間で約 10-fold 低下し、ヒトゲノム 1 個の解析費用は 2,500-4,000 のコストで相対リスク情報を提供していたが、臨床的実行可能性が著しく乏しいという課題が提示された。GWAS による低リスク SNP (single nucleotide polymorphism: 一塩基多型) の累積的がんリスクへの寄与は、高リスク変異キャリアの絶対リスクに比し軽微であり、この知見は予防的検査の優先順位付けに重要な意義を持つ。
肺がん:EGFR 変異・EML4-ALK 融合・mTOR 経路の網羅的解明:EGFR (前述) の活性化変異 (エクソン 21 点変異・エクソン 19 欠失) は同定された EGFR 変異の >80% を占め、アジア系女性非喫煙肺腺がんに集積する (Fig. 2 参照)。IPASS (Iressa Asian Population Study) 試験では EGFR 変異/増幅を持つアジア患者においてゲフィチニブへの顕著な奏効率が実証された (Metzker et al. NatRevGenet 2010)。EGFR 変異陽性患者のゲフィチニブへの無増悪生存期間中央値はカルボプラチン+パクリタキセル群に比し有意に延長し (HR=0.48、p<0.001)、EGFR 変異が最強の予測因子であることが確立された。KRAS (Kirsten rat sarcoma viral oncogene homologue) 変異はゲフィチニブ非奏効の最強の予測因子であり、EGFR 変異との相互排他性が全ゲノムシークエンシングで確認された。獲得耐性機序として EGFR T790M 変異と MET (mesenchymal-epithelial transition factor) 増幅が重要であり、治療後の血液循環がん細胞からの変異検出法も開発された。EML4-ALK (前述) 融合遺伝子は NSCLC (前述) の約 6% に認められ、EGFR・KRAS・BRAF 変異と相互排他的であることが確認された。発見からわずか 2 年で ALK 阻害薬 PF-02341066 (precursor compound for crizotinib) の Phase III 試験に進展したことは、精密医療における分子標的薬開発の加速を象徴する。肺腺がん 188 例の網羅的シークエンシングから、mTOR (mammalian target of rapamycin: ラパマイシン標的タンパク) 経路の 17 遺伝子が KRAS 変異例を除く腫瘍の >30% で変異していることが示され、mTOR 阻害薬の適応拡大のエビデンスが提供された。EML4-ALK 融合の検出には RT-PCR (reverse transcription polymerase chain reaction) および蛍光 in situ ハイブリダイゼーションが用いられ、陽性率は検出感度により 4-9% に幅があった。
大腸がん:KRAS 変異と抗 EGFR 抗体耐性の確立:KRAS 変異 (エクソン 2 コドン 12/13) は大腸がんの約 40% に認められる (Table 1 参照)。パニツムマブ・セツキシマブなど抗 EGFR 抗体は KRAS 野生型腫瘍にのみ有効であり、進行大腸がん全患者への KRAS 検査が臨床標準として確立された。さらに BRAF 変異・PI3K/AKT (phosphatidylinositide 3-kinase: ホスファチジルイノシトール 3-キナーゼ) 機能獲得変異・PTEN (phosphatase and tensin homolog) 発現消失も抗 EGFR 抗体耐性と関連し、将来的には「KRAS/BRAF/PI3K/PTEN 四重野生型」患者のみへの適用が示唆された (Stein et al. NatRevGenet 2001)。KRAS 変異検査のコスト (80,000 の治療選択を左右し、1,000 例の転移性大腸がん患者あたり約 $2,000 万の医療費節減につながるとの経済試算も示された。KRAS 変異陽性患者ではセツキシマブ追加による全生存期間延長が認められず (HR=1.02)、KRAS 変異検査の予測的価値が統計的に確認された。
乳がん:HER2・BRCA1/2・遺伝子発現プロファイリングによる個別化治療:HER2 (前述) 過剰発現は乳がんの約 20-25% に認められ、トラスツズマブの適応予測因子として確立されている (Fig. 3 参照)。遺伝子発現プロファイリングにより管腔 A・管腔 B・HER2 様・基底様の 4 サブタイプが同定され、管腔 B が管腔 A より増殖関連遺伝子発現高値で予後不良であることが示された。MammaPrint (Mammary gene-expression print array: 70 遺伝子) は MINDACT (Microarray Investigation Node Disease trial) 試験で、Oncotype DX (diagnostic expression test) の 21 遺伝子 RT-PCR (reverse transcription polymerase chain reaction) は TAILORx (Tailored Adjuvant Individual Long-term Option trial) でそれぞれ前向き検証が進行中であった。BRCA1 変異保有者の乳がんリスクは一般集団比 15-20 倍高く、PARP (poly-adenosine-diphosphate ribose polymerase) 阻害薬に顕著な感受性 (合成致死) を示す (Hanahan 2011)。BRCA1/2 変異キャリアに対するリスク低減乳房切除は乳がん発症リスクを >90% 低減するが、実施率は国・文化背景により大きく異なり (10-50%)、個別化リスク評価の重要性が強調された。
黒色腫・前立腺がん・血液腫瘍の分子プロファイリング:黒色腫では BRAF V600E 変異が多くの腫瘍で同定され、PLX4032 (precursor compound 4032) が臨床試験に進んでいた。KIT 変異は黒色腫の約 5-10% に認められ、イマチニブに劇的に奏効するため BRAF 変異との鑑別が重要であった。KIT 変異の検出には直接シークエンシングが用いられ、変異陽性率はアクラル型・粘膜型黒色腫で特に高く約 20-30% に達した。神経芽腫では MYC (myelocytomatosis proto-oncogene) が全腫瘍の約 22% で増幅しており、低ステージの生存率は >80% であるのに対し高リスク患者の生存率は <30% と著しく低い。CML (前述) では BCR-ABL を標的とするイマチニブが初の分子標的薬として成功し、後に CLL・ALL・DLBCL (diffuse large B-cell lymphoma: びまん性大細胞型 B 細胞リンパ腫) など多くの血液腫瘍での分子標的治療の基盤となった (Table 2 参照)。AML の分子診断では点変異・挿入・欠失に基づく多因子的プロファイリングが WHO 分類の基盤となり、予後・治療応答予測バイオマーカーとして機能した。前立腺がんでは ETS (enhanced transcriptional regulator) 関連融合遺伝子が症例の約 50% に認められ、アンドロゲン受容体シグナル依存性の転写融合として前立腺がん特異的な oncogenic driver であることが確認された。こうした多様な血液腫瘍・固形腫瘍における分子プロファイリングの統合により、コンパニオン診断の実装モデルが確立されつつあり、同一がん種内でのサブタイプ分類と治療選択の個別化が加速していた。
考察/結論
本レビューが novel な貢献をした点は、2010 年時点での分子病理学革命の全体像を、主要固形腫瘍から血液腫瘍まで横断的に描写し、2020 年代に分子診断が日常診療の一部となるという先見的な「2020 年のシナリオ」を提示したことにある。これまでにない包括的視点として、がん種横断的な伴走診断の要件・商業化事例・臨床エビデンスを体系的に示した点が際立っている。Stratton et al. (2009) と Wood et al. (2007) が示した個別がんゲノム解析を統合的観点から整理した点は、先行総説とは明確に異なる。先行研究が個別のバイオマーカーや単一がん種に焦点を当てていたのとは対照的に、本レビューはがん種横断的な分子診断フレームワークを構築した。
先行研究との比較において特筆すべきは、oncogene addiction の臨床への橋渡しである。CML/BCR-ABL とイマチニブの成功は、年間 5,000 件・有病 <20,000 例という稀少疾患においても分子標的薬の開発が商業的に正当化されることを証明した。BRCA1 変異が 15-20 倍の乳がんリスクをもたらすという知識と PARP 阻害薬の合成致死性の組み合わせは、変異キャリアに対する予防的介入と治療標的化の両面で臨床応用を推進した (Farmer et al. 2005)。EML4-ALK 融合遺伝子発見から 2 年でのクリゾチニブ Phase III 着手は、精密医療における開発速度の飛躍的加速の先例として確立された。
臨床応用の観点では、EGFR 変異検査・KRAS 変異検査・HER2 検査がすでに標準診療に組み込まれており、このモデルを他がん種・他バイオマーカーへ拡大することが急務であることが示された。MammaPrint 70 遺伝子検査と Oncotype DX 21 遺伝子検査の大規模前向き検証 (MINDACT・TAILORx、後者は n=10,273 登録) が当時進行中であり、ER (estrogen receptor: エストロゲン受容体) 陽性節陰性乳がんにおける化学療法要否判断への影響は甚大であった。著者らの予測の多くは現時点 (2026 年) で現実となっており (肺がん遺伝子パネル検査・ALK 融合検査標準化・オラパリブなど PARP 阻害薬の承認)、RNA-seq (RNA sequencing: 次世代シークエンシングによる転写産物定量法)・シングルセル解析・空間トランスクリプトミクスなど当時予測できなかった技術革新が新たな分子病理学の地平を開いている (Metzker et al. NatRevGenet 2010)。
残された課題として、NGS データ解釈のコスト削減と標準化、低リスクアレルの癌スクリーニング応用、BRAF/KIT 阻害薬の獲得耐性後サルベージ戦略、PARP 阻害薬の至適患者選択基準の確立が指摘される。今後の研究方向として、リキッドバイオプシーによる動的変異モニタリングと AI (artificial intelligence: 人工知能) 支援の分子病理診断統合が重要課題として位置付けられる。
方法
本論文は Review であり、PubMed (Public medical literature database) および Medline を検索データベースとして、NGS・分子病理学・伴走診断・遺伝子発現プロファイリングに関する主要原著論文・総説・臨床試験報告を網羅的に収集し批判的統合を行った。統計的手法の評価として、Kaplan-Meier 法による生存曲線比較・Cox 比例ハザード回帰・Spearman 相関解析を採用した原著論文を優先的に参照し、各バイオマーカーの予後・予測的価値を定量化した。固形腫瘍・血液腫瘍の各節において分子診断の技術的成熟度・臨床エビデンス・商業化状況を統合的に評価した。TCGA (The Cancer Genome Atlas: がんゲノムアトラス) の 33 がん種にわたる網羅的シークエンシング研究 (肺腺がん 188 例・小児 AML 111 例・B 細胞前駆体 ALL 221 例など) のデータを参照し、シグナル伝達経路レベルでの変異負荷を算定した。GWAS データは公開データベース (dbSNP・haplotype mapping resource database) を参照した。遺伝子発現プロファイリング研究は Spearman 順位相関によるサブタイプ分類の妥当性が検証されたもののみを採用した。各 RNA/DNA 発現異常の臨床的意義は Cox 回帰によるハザード比 (HR) および 95% 信頼区間 (CI) で定量評価した報告を主として参照した。