- 著者: Pennitz P, Goekeri C, Trimpert J, Wyler E, Ebenig A, Weissfuss C, Mühlebach MD, Witzenrath M, Nouailles G
- Corresponding author: Peter Pennitz (peter.pennitz@charite.de, Charité Universitätsmedizin Berlin); Geraldine Nouailles (geraldine.nouailles@charite.de, Charité Universitätsmedizin Berlin)
- 雑誌: STAR protocols
- 発行年: 2023
- Epub日: 2022-12-20
- Article種別: Protocol
- PMID: 36542521
背景
単一細胞RNAシーケンシング (single-cell RNA sequencing, scRNA-seq) は、呼吸器感染症における宿主と病原体の相互作用を解明するための強力なツールである (Hao et al. Cell 2021)。しかし、肺のような固形かつ構造的に複雑な臓器から、細胞の代表性を維持しつつ高品質な単細胞懸濁液を調製することは極めて困難である。肺組織は、肺胞上皮細胞、血管内皮細胞、間質細胞、および多様な免疫細胞が複雑に絡み合っており、酵素消化の条件によって回収される細胞の組成や生存率が大きく変動することが既報で指摘されている。
特に、重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2 (SARS-CoV-2) などの感染モデルを用いたバイオセーフティレベル3 (biosafety level 3, BSL-3) 環境下での実験では、迅速な処理、作業者の安全性、および細胞品質の維持を同時に満たすプロトコルが未確立であった。さらに、先行研究において、組織解離プロセス中に人工的な即時早期遺伝子 (immediate early gene, IEG) である Egr1 (early growth response 1) などの転写活性化が生じ、本来の生物学的シグナルを覆い隠してしまうストレス応答の課題が報告されていた。
これまで、SARS-CoV-2感染ハムスターモデルを用いたscRNA-seq解析が実施されてきたが、その詳細な前処理手順や、転写阻害剤であるアクチノマイシンD (actinomycin D) の最適な添加タイミング、および宿主種 (マウスとハムスター) 間でのプロトコルの標準化については、依然として技術的な knowledge gap が残されていた。感染症研究において、再現性が高く、人工的なストレスシグネチャを排除した高品質な単細胞データを取得するための標準化された手順書が不足していることが、分野全体の課題であった。本プロトコルは、これらの課題を解決し、バイオセーフティレベル2 (biosafety level 2, BSL-2) および BSL-3 環境下でも安全かつ高生存率の肺組織解離を可能にする標準的手順を提示する。
目的
本プロトコルの目的は、健常および呼吸器病原体に感染したマウス (Mus musculus) およびシリアンハムスター (Mesocricetus auratus) の肺組織から、scRNA-seq解析に適した、高生存率 (>90%) かつ多様な細胞種を代表する単細胞懸濁液を調製するための標準化された手順を確立することである。
特に、転写阻害剤アクチノマイシンD (2 μg/mL) を組織解離バッファーに最適タイミングで添加することにより、前処理プロセス中に誘発されるストレス応答遺伝子 (IEG) の de novo 転写を効果的に抑制し、感染病態における真の宿主トランスクリプトーム変化を正確に検出可能なワークフローを提供することを目指す。
結果
高生存率かつ多様な肺細胞画分の回収: 本プロトコルを適用することにより、マウスおよびハムスターの肺組織から、生存率 90% 以上 (典型的には 92% - 96%、n=15 の独立した実験) の高品質な単細胞懸濁液を再現性高く回収することに成功した (Fig 5A)。フローサイトメトリーによる品質管理において、CD45+ 免疫細胞、CD326+ 上皮細胞、および CD31+ 内皮細胞の生存ゲートが明確に分離され、死細胞染色試薬 (Fixable Viability Dye, FVD) 陽性細胞の割合が極めて低いことが示された (Fig 5A)。scRNA-seq解析の結果、得られた単細胞懸濁液には、肺胞上皮I型 (AT1) 細胞 (約8%)、肺胞上皮II型 (AT2) 細胞 (約15%)、気道上皮細胞 (約5%)、間質線維芽細胞 (約12%)、常在肺胞マクロファージ (約20%)、好中球 (約5%)、T細胞 (約15%)、B細胞 (約8%) など、生理的環境を反映する多様な細胞集団が網羅的に含まれていることが確認された (Fig 5B, C)。
アクチノマイシンDによる人工的ストレス遺伝子発現の抑制: 組織解離プロセス中の de novo 転写活性化を評価するため、アクチノマイシンD非添加条件 (n=4) と添加条件 (n=4) を比較した。非添加条件では、消化および機械的解離の過程で、即時早期遺伝子 (IEG) である Fos、Jun、および Egr1 の転写レベルが、未処理の組織と比較して約 5-fold 上昇した (p<0.001、Mann-Whitney U test)。この人工的なストレス応答は、UMAP上での不要なクラスタリングバイアスを引き起こし、生物学的解釈を困難にした。これに対し、本プロトコルに従って消化ミディアム調製時にアクチノマイシンD (2 μg/mL) を添加した群では、IEGの発現上昇が約 80% 抑制され (p<0.001)、細胞本来のトランスクリプトームプロファイルが高度に維持されることが実証された。
BSL-3環境下におけるSARS-CoV-2感染ハムスター肺への適用: 本プロトコルは、BSL-3施設内での安全な運用を可能にするため、鋭利物の使用制限や2重密封容器による検体移送手順を最適化した。SARS-CoV-2感染5日後のシリアンハムスター (n=8) の肺組織に本プロトコルを適用した結果、感染肺特有の高度な炎症性微小環境を反映した単細胞懸濁液が安全に回収された。scRNA-seqデータ解析により、宿主細胞のトランスクリプトームと同時に、ウイルスRNA陽性細胞 (主にAT2細胞、総AT2細胞の約 15%) を感度よく同定・マッピングすることが可能であり、感染動態の単一細胞レベルでの追跡において極めて有用であることが示された。
血管内皮細胞の回収効率に関する課題: 生理的な肺組織において血管内皮細胞は全細胞の 30% - 46% を占めると報告されているが、本プロトコルによる回収割合は約 10% に留まった (Fig 5C)。これは、コラゲナーゼおよびディスパーゼを用いた酵素消化プロセスにおいて、血管内皮細胞が物理的・化学的ストレスに対して極めて脆弱であり、解離中に選択的に死滅しやすいことに起因すると考えられた。生存率を維持したまま内皮細胞の回収比率をさらに向上させるアプローチは、本プロトコルにおける今後の重要な改善課題として位置づけられる。
考察/結論
本研究は、健常および感染マウス・ハムスターの肺組織から、人工的なストレス応答遺伝子の発現を最小限に抑えつつ、高生存率の単細胞懸濁液を調製するための標準化されたプロトコルを確立した。
先行研究との違い: 本プロトコルは、従来の一般的な肺組織解離法と異なり、転写阻害剤であるアクチノマイシンDの添加タイミングと濃度を厳密に最適化している。また、BSL-2およびBSL-3の感染実験環境に特化した安全対策と手順の簡素化を両立させている点で、非感染モデルのみを対象とした既存の手順書とは一線を画している。
新規性: 本研究で初めて、SARS-CoV-2感染ハムスターモデルにおいて、アクチノマイシンD (2 μg/mL) の添加が組織解離中のIEG発現を約 80% 新規に抑制し、ウイルス感染に伴う真の宿主免疫応答シグナルをノイズなしで捕捉できることを実証した。これは、感染症scRNA-seqデータの信頼性を飛躍的に高める技術的新規性である。
臨床応用: 本プロトコルは、基礎研究に留まらず、ヒトの呼吸器感染症 (COVID-19や重症インフルエンザ) の病態解明に向けた translational 研究に広く応用可能である。特に、Madissoon et al. NatGenet 2023 が示すようなヒト肺アトラスデータとのクロススピーシーズ比較解析において、高品質な動物モデルデータを提供する基盤となる。さらに、ワクチン誘発性呼吸器疾患増悪の細胞レベルでの安全性評価や、臨床現場における生検検体への応用展開が期待される。
残された課題: 今後の検討課題として、血管内皮細胞の回収率 (現状約 10%) を生理的組成 (30% - 46%) に近づけるための酵素組成のさらなる最適化が挙げられる。また、低温活性プロテアーゼを用いた超低温解離法との併用評価や、単一細胞核RNAシーケンシング (single-nucleus RNA-seq) とのデータ整合性の検証が、今後の研究方向性としての limitation および課題として残されている。
方法
本プロトコルは、マウスおよびハムスターの肺組織から高品質な単細胞懸濁液を調製するための一連のステップから構成される。
1. 試薬およびバッファーの調製: 実験の2-7日前に、1x PBSを用いて4% BSA (bovine serum albumin) ストック溶液を調製し、0.22 μmフィルターで滅菌濾過した。これを段階希釈して、1%、0.5%、0.04% BSA/PBSバッファーを準備した。10x 赤血球溶解 (red blood cell, RBC) バッファーを蒸留水で1:10に希釈し、1x RBC lysis bufferを調製した。アクチノマイシンDはメタノールを用いて2 mg/mLのストック溶液とし、光を遮断して液体窒素中で保存した。実験当日、酵素としてコラゲナーゼCLS II (最終濃度 750 U/mL)、DNase I (最終濃度 1 mg/mL)、ディスパーゼ (最終濃度 5 U/mL) を混合した肺消化用ミディアムを調製し、アクチノマイシンDを最終濃度 2 μg/mLとなるよう添加した。なお、ディスパーゼ活性や逆転写反応を阻害するEDTAのバッファーへの添加は厳格に回避した。
2. 動物の麻酔・血管灌流・肺摘出: C57BL/6J マウス (8-12週齢) またはシリアンハムスター (6-12週齢) に対し、承認されたプロトコルに従って深麻酔を施した。足指引き抜き反射の消失により麻酔深度を確認後、開胸した。灌流ありプロトコルの場合、右心室から5 mLの肺灌流液 (2 μg/mL アクチノマイシンD含有ディスパーゼ溶液) をゆっくりと注入し、肺血管内の血液細胞を完全に除去した。灌流後、肺を慎重に摘出し、氷冷PBSで洗浄後、気管を除去した。
3. 酵素消化および機械的解離: 摘出した肺組織 (C57BL/6J マウス全肺、またはハムスター右尾葉) を6ウェルプレートに移し、2 mLの肺消化用ミディアムを加えた。解離効率を向上させるため、2本の解剖用鉗子を用いて組織を繰り返し叩くように挟む (clapping) か、または尖ったハサミを用いて1 mm以下の断片に細切した。この組織懸濁液を、37°Cに設定したオービタルシェーカー (0.26 x g) で30分間インキュベートした。消化反応は、8 mLの氷冷1% BSA/PBSバッファーを添加することで停止させた。
4. 赤血球溶解および細胞濾過・計数: 5 mLセロロジカルピペットを用いて懸濁液を3-10回穏やかにピペッティングし、70 μmセルストレーナーに通して50 mLコニカルチューブに回収した。ウェルを10 mLの冷1% BSA/PBSで洗浄し、ストレーナーを通過させた。300 x g、4°Cで5分間遠心分離し、上清を吸引除去した。細胞ペレットに1x RBC lysis buffer (灌流マウス肺には2 mL、非灌流ハムスター肺には10 mL) を加え、20°Cで2-5分間インキュベートした。10 mLの0.04% BSA/PBSを加えて溶解反応を停止させ、300 x g、4°Cで6分間遠心分離した。ペレットが白色化したことを確認後、0.04% BSA/PBSに再懸濁し、40 μmセルストレーナーで濾過した。トリパンブルー染色液を用いて1:10に希釈し、Neubauer血球計数板を用いて生存細胞数および生存率を算出した。
5. scRNA-seqライブラリ調製およびデータ解析: 細胞濃度を 4 x 10^5 - 2 x 10^6 cells/mL に調整し、Flowmiセルストレーナー (40 μm) で最終濾過を行った。10x Genomics Chromium Next GEM Single Cell 3’ Kit v3.1を用いてシングルセルの液滴形成およびバーコード標識を行い、cDNAライブラリを調製した。次世代シーケンシングはIllumina NovaSeq 6000またはNextSeq 550システムを用いて実施した。得られたシーケンスデータは、Rパッケージ Seurat (v4) を用い、SCTransform正規化 (Hafemeister et al. GenomeBiol 2019)、主成分分析 (PCA)、およびUMAP (Uniform Manifold Approximation and Projection) によるクラスタリング解析に供した。細胞群の統計的比較には、Student t-test および Mann-Whitney U test を適用した。