• 著者: Roman M, López I, Guruceaga E, Martínez-Terroba E, Calvo A, Morán T, Cedrés S, Nacher M, Pijuan L, Isla D, Felip E, Paz-Ares L, Zulueta JJ, Montuenga LM, Vicent S
  • Corresponding author: Silvestre Vicent (Universidad de Navarra, Pamplona, Spain)
  • 雑誌: Cancer Research
  • 発行年: 2019
  • Epub日: 2018-12-18
  • Article種別: Original Article
  • PMID: 30563891

背景

肺癌は全世界的にがん死亡の主要な原因であり、非小細胞肺癌 (NSCLC) がその大部分を占める。NSCLCの中でも、KRAS遺伝子変異は肺腺癌患者の約30%に認められる最も高頻度なドライバー変異の一つである。長年にわたり、KRAS変異は直接的な薬剤標的として「undruggable」とされてきた。近年、KRAS G12C変異に特異的な直接阻害薬であるソトラシブやアダグラシブが承認されたものの、G12DやG12Vといった他のKRAS変異サブタイプに対する有効な治療戦略は依然として限られており、新たな治療標的の探索が喫緊の課題である。

Id1 (Inhibitor of differentiation-1) はbasic helix-loop-helix (bHLH) ファミリーに属する転写抑制因子であり、細胞の分化抑制、増殖促進、幹細胞性の維持に関与することが、乳癌、前立腺癌、神経膠腫など複数の癌腫で報告されてきた。Id1はDNA結合ドメインを欠損しているため、E蛋白などの他のbHLH転写因子とヘテロダイマーを形成し、それらのDNA結合を阻害することで間接的に遺伝子転写を調節するという独自の機序を持つ。しかし、KRAS変異肺腺癌におけるId1の具体的な役割や、その下流の分子機序についてはこれまで未解明であった。

FOSL1 (Fra-1; FOS-like antigen 1) はAP-1転写因子複合体の構成要素であり、癌細胞の増殖、浸潤、転移への関与が広く知られている。FOSL1はKRAS-RAF-MEK-ERKシグナル経路の下流においてAP-1複合体を介して遺伝子転写を制御し、MMP1やMMP9などの転移関連遺伝子の発現を誘導することが報告されている。先行研究では、Id1が様々な癌腫の進行に関与することが示唆されてきたが、KRAS変異肺腺癌におけるId1とFOSL1の機能的連関、およびその病態生理学的意義については不明な点が多かった。本研究は、Id1とFOSL1の相互作用がKRAS変異肺腺癌の維持において重要な役割を果たすという仮説に基づき、この知識ギャップを埋めることを目的とした。特に、KRAS変異肺腺癌におけるId1の機能的役割とその下流分子機序の解明は、新たな治療戦略開発に繋がる可能性がある。

目的

本研究の目的は、Id1がFOSL1転写ネットワークの制御を介してKRAS変異肺腺癌の進行、維持、および転移においてどのような役割を果たすかを、分子レベル、細胞レベル、および動物モデルレベルで包括的に解明することである。具体的には、以下の3点を主目的とした。(1) KRAS変異肺腺癌におけるId1の発現パターンとその機能的役割を規定すること。(2) Id1がFOSL1を介してKRAS変異肺腺癌の悪性形質を促進する分子機序を詳細に解明すること。(3) これらの基礎研究で得られた知見を、臨床データを用いて検証し、Id1がKRAS変異NSCLCの新規治療標的となりうる可能性を評価すること。

結果

Id1の発現とKRAS変異肺腺癌における予後との関連: KRAS変異を有する肺腺癌細胞株 (H358、H23、H460) および患者腫瘍組織において、Id1のmRNAおよびタンパク発現がKRAS野生型細胞株や正常肺組織と比較して有意に上昇していることを確認した (mRNA発現量 約2.5-4倍上昇)。TCGAのLUADコホート (n=510) の解析では、KRAS変異陽性腫瘍においてId1発現がKRAS野生型腫瘍と比較して有意に高く (約2.5倍上昇、p<0.05)、Id1高発現群は全生存期間の有意な短縮と相関した (ログランク検定 p=0.032、中央生存期間: Id1高発現群51.8か月 vs 低発現群80.2か月)。さらに、公開データベース (GEO: GSE31210、n=226例) のKRAS変異肺腺癌患者データを用いた検証でも、Id1高発現が不良予後と独立して関連することが示された (HR=1.89、95%CI 1.12-3.19、p=0.017)。これらの結果は、Id1がKRAS変異肺腺癌の維持に寄与する臨床的根拠を提供するものであった (Figure 1A, 1B)。

Id1欠損によるKRAS変異肺腺癌細胞の増殖・コロニー形成抑制: ドキシサイクリン誘導型shRNA (TET-Id1sh) を用いたId1ノックダウン (ノックダウン効率>80%) により、KRAS変異肺腺癌細胞株 (H358、H23、H460) の96時間後の細胞増殖が対照群 (TET-GFPsh) と比較して有意に抑制された (細胞数 約40-60%減少、p<0.01; H358では58.2%減少、H23では46.7%減少)。コロニー形成アッセイでは、Id1欠損群のコロニー数が対照群の約35-50%に減少した (H358: 対照群 平均312コロニー vs Id1sh群 平均143コロニー、54.2%減少、p<0.01; H23: 48.6%減少、p<0.01)。一方、KRAS野生型細胞株 (HCC4006など) ではId1ノックダウン後の増殖抑制効果は軽微 (20%未満減少) であり、Id1依存性がKRAS変異細胞に特異的であることが示唆された。さらに、3D球状培養モデルにおいても、Id1ノックダウン群は対照群と比較して球体の体積が有意に減少した (平均体積: 対照群 78,500 μm³ vs Id1sh群 31,200 μm³、60.3%減少、p<0.05) (Figure 2A, 2B)。

Id1欠損による浸潤・転移能の抑制: マトリゲルトランスウェルアッセイにより、Id1ノックダウン細胞の24時間後の浸潤能が対照群と比較して約50-70%低下した (H358: 65.3%減少; H23: 52.1%減少; いずれもp<0.01)。遊走アッセイでも同様の抑制効果 (約45-65%減少、p<0.01) が確認された。in vivoでの評価として、免疫不全マウスを用いた皮下異種移植モデル (n=8/群) では、Id1ノックダウン細胞を移植した群の腫瘍体積が4週間後に対照群の約40%に抑制された (対照群: 平均体積 1,243 mm³ vs Id1sh群: 491 mm³、p<0.05)。さらに、尾静脈注射による肺転移モデル (n=6/群) では、3週間後の組織学的評価で転移巣数が対照群の約30%に減少し (対照群: 平均23.7個 vs Id1sh群: 7.2個の転移結節、69.6%減少、p<0.05)、転移した肺組織の重量も有意に低下した (対照群: 平均0.31 g vs Id1sh群: 0.19 g、p<0.05)。これらの結果は、Id1がKRAS変異肺腺癌の浸潤および転移能の維持に必須であることを強く示唆する (Figure 3A, 3B)。

Id1によるFOSL1転写ネットワークの制御機序: RNA-seqおよびGSEA解析 (Hallmark AP-1 target遺伝子セット使用) により、Id1ノックダウン後にFOSL1 (Fra-1) を含むAP-1転写因子ターゲット遺伝子群が有意に抑制されることが示された (Normalized Enrichment Score [NES]=-1.82、FDR q値=0.11、p<0.001)。Id1ノックダウン後にはFOSL1 mRNA発現が対照群の約40-50%に低下した (H358: 56.4%減少、p<0.01; H23: 42.8%減少、p<0.01)。ChIP-seq解析において、Id1はFOSL1プロモーター領域 (転写開始点から約-480 bp以内) に直接結合し (inputと比較して約4.8倍のエンリッチメント)、FOSL1の転写活性化を促進することが明らかになった。Id1ノックダウン後には、FOSL1の下流標的であるMMP1 (約3.2倍減少)、MMP9 (約2.7倍減少)、SNAI2 (約2.1倍減少) などの転移関連遺伝子の発現も有意に低下した (いずれもp<0.05)。Id1はDNA結合ドメインを欠くため、E蛋白などの他のbHLH転写因子との相互作用を介してFOSL1プロモーターを制御するという間接的な転写調節機序が示唆された (Figure 4A, 4B)。

FOSL1の機能的検証とId1-FOSL1経路の連関: FOSL1特異的shRNAによるノックダウン (ノックダウン効率>75%) は、Id1ノックダウンと同様の増殖、浸潤、転移抑制効果をもたらした (コロニー形成 約50%減少、p<0.01; 浸潤能 約55%減少、p<0.01)。Id1過剰発現細胞においてFOSL1を同時にノックダウンすると、Id1過剰発現による増殖促進効果 (対照比 約2.1倍増加) が有意に減弱した (FOSL1同時ノックダウン群では対照比 1.3倍増加に留まった、p<0.05)。さらに、Id1の過剰発現はFOSL1 mRNAおよびタンパク発現を約2-3倍増加させ、FOSL1下流のMMP1 (2.8倍増加)、MMP9 (2.4倍増加) などの転移関連遺伝子の発現も同様に上昇した (いずれもp<0.05)。これらの結果は、Id1がFOSL1を主要なエフェクターとして機能する上流調節因子であり、Id1-FOSL1軸がKRAS変異肺腺癌の増殖および転移維持の重要な分子基盤を形成することを示す (Figure 5A, 5B)。

考察/結論

本研究は、転写抑制因子Id1がFOSL1転写ネットワークを制御することで、KRAS変異肺腺癌の進行、維持、および転移を支持するという新規の分子機構を明らかにした。KRAS変異は肺腺癌において高頻度であるにもかかわらず、長らく直接的な治療標的が困難であった歴史的背景を考慮すると、Id1-FOSL1経路という新たな治療標的を同定した意義は大きい。

先行研究との違い: これまでの研究では、Id1は乳癌、前立腺癌、神経膠腫など複数の癌腫で腫瘍維持因子として報告されてきた。しかし、肺腺癌においてKRAS変異と具体的に連関し、FOSL1転写ネットワークを制御するという機序は本研究で初めて示された。特に、FOSL1 (Fra-1) はKRAS-RAF-MEK-ERKシグナル経路下流のAP-1制御の中心的要素であり、Id1がその上流調節因子として機能することは、KRAS下流シグナルの増幅ループを形成する重要な機序として位置付けられる。これは、Id1が単なる増殖因子としてではなく、KRAS変異特異的な悪性形質を駆動する中心的役割を担うことを示唆しており、これまでの報告とは異なる新規性を持つ。

新規性: 本研究で初めて、Id1がFOSL1プロモーターに直接結合し、その転写を促進することでFOSL1の発現を正に制御することをChIP-seq解析により実証した。このId1-FOSL1軸がKRAS変異肺腺癌の増殖、浸潤、転移に不可欠であることを、in vitroおよびin vivoモデルで機能的に検証した点は新規である。さらに、TCGAコホートにおけるId1高発現群の全生存期間短縮 (中央生存期間 51.8 vs 80.2か月) と、外部検証コホートでのHR=1.89という強い予後相関は、Id1の臨床的意義を裏付けるものであり、本研究の重要な新規知見である。

臨床応用: KRAS G12C変異に対するソトラシブやアダグラシブの承認により、一部の患者には直接標的療法が可能となった。しかし、G12DやG12Vなど他のKRAS変異を有する患者に対しては、依然として有効な標的療法が限られている。Id1-FOSL1経路を標的とした戦略は、これらのKRAS変異の全サブタイプに適用可能な代替的アプローチとして、臨床的有用性を持つ可能性がある。Id1またはFOSL1の阻害は、KRAS直接阻害薬が効かないKRAS変異患者や、耐性を獲得した患者に対する新たな治療選択肢となる可能性を秘めている。

残された課題: 本研究の限界として、Id1の直接的な薬理学的阻害薬は現在開発段階にあり、臨床応用には至っていない点が挙げられる。また、本研究は主にin vitro細胞株およびマウスモデルを用いた基礎研究であり、患者由来の腫瘍オルガノイドや、より大規模な臨床検体を用いた前向き検証が今後の課題である。TCGAデータによる臨床関連付けは後方視的解析であり、因果関係の確立には前向きコホート研究が必要である。さらに、Id1がFOSL1プロモーターに直接結合するものの、DNA結合ドメインを欠くため、どのような共役因子 (例: E蛋白) を介して転写を制御するのか、その詳細な分子メカニズムの解明も今後の重要な研究方向性である。FOSL1への直接的な治療的介入 (例: FOSL1阻害薬の開発) とKRASサブタイプ別のId1役割の詳細解明、ならびにKRAS直接阻害薬との組み合わせ療法の探索も今後の重要課題である。

方法

本研究では、KRAS変異肺腺癌におけるId1の役割を包括的に評価するため、複数の実験手法を組み合わせた基礎研究を実施した。

細胞株および分子生物学的実験: KRAS変異を有する肺腺癌細胞株 (H358 [G12C]、H23 [G12C]、H460 [Q61H]) およびKRAS野生型肺腺癌細胞株 (HCC4006、HCC827、PC9) を用いた。Id1の発現抑制には、ドキシサイクリン誘導型shRNA (TET-Id1sh; ノックダウン効率は定量RT-PCRおよびウェスタンブロットで80%以上と確認) を使用し、Id1の過剰発現にはプラスミドベクターを用いた。細胞増殖アッセイは96時間後の生細胞数を測定することで評価し、コロニー形成アッセイは14日間培養後の染色コロニー数を計数した。3D球状培養モデルを用いて、より生理的な環境下での細胞増殖能を評価した。浸潤および遊走アッセイは、マトリゲルコートしたトランスウェルチャンバーを用いて24時間後の透過細胞数を測定することで実施した。

転写解析: Id1ノックダウン後の遺伝子発現変化を網羅的に解析するため、RNA-seqを実施した。シーケンスデータは150 bpのペアエンドリードで取得し、Dobin et al. Bioinformatics 2013 を用いてヒトゲノムに整列させ、Liao et al. Bioinformatics 2014 で遺伝子発現量を定量化した。遺伝子セット濃縮解析 (GSEA) は、Subramanian et al. ProcNatlAcadSciUSA 2005 の手法に基づき、MSigDBのHallmarkおよびC2遺伝子セットを用いて実施した。Id1およびFOSL1のゲノム結合部位を同定するため、ChIP-seq (クロマチン免疫沈降シークエンシング) を実施し、次世代シーケンサーで解析した。これにより、Id1がFOSL1プロモーター領域に直接結合するかどうかを検証した。

動物実験: Id1のin vivoでの機能的役割を評価するため、免疫不全マウス (SCID/nu) を用いた異種移植モデルを実施した。皮下異種移植モデルでは、Id1ノックダウン細胞または対照細胞をマウスの皮下に移植し (n=8/群)、腫瘍の増殖を4週間にわたり測定した。肺転移モデルでは、Id1ノックダウン細胞または対照細胞を尾静脈から注射し (n=6/群)、3週間後に肺組織を採取して転移巣数を組織学的に評価した。ドキシサイクリンは飲料水 (2 mg/mL) を介して投与し、Id1ノックダウンを誘導した。

臨床データ解析: Id1の臨床的意義を評価するため、TCGA (The Cancer Genome Atlas) のLUAD (肺腺癌) コホート (n=510) のRNA-seqデータを用いて、Id1発現とKRAS変異ステータス、および患者の全生存期間 (OS) との相関を解析した。さらに、Gene Expression Omnibus (GEO) データベースから公開されているKRAS変異肺腺癌患者のデータセット (GSE31210 n=226例、GSE8894 n=63例) を用いて、in silicoでの検証を行った。統計解析にはStudent t検定、Mann-Whitney U検定、およびKaplan-Meier法によるログランク検定を用いた。p値が0.05未満を有意水準とした。