- 著者: Dane Vassiliadis, Mark A. Dawson
- Corresponding author: Mark A. Dawson (Peter MacCallum Cancer Centre, Melbourne, Australia)
- 雑誌: Nature
- 発行年: 2021
- Epub日: 2021-02-03
- Article種別: Commentary
- PMID: 33536597
背景
膵臓癌の大部分はKRAS遺伝子に変異を持つが、KRAS変異単独では腫瘍形成には不十分であり、環境的な組織損傷との協調が不可欠である。ヒト組織では加齢とともに多くの組織においてがん関連変異を持つクローン集団が形成されるが、これらの変異細胞が組織損傷に対してどのように異なる応答をするかはこれまで不明であった。Acinar-to-ductal metaplasia (ADM) は膵臓損傷後に起こる上皮細胞型の転換であり、KRASなどの発がん性変異と組み合わさると、前がん病変である膵管内腫瘍形成 (PanIN) へと進展することが知られている。この変異細胞が損傷に応答する際のクロマチンレベルでの変化が、がん化の素因となる可能性が示唆されていたが、その詳細なメカニズムは未解明であった。特に、正常な組織修復とがん化を促進する異常な修復との間の分子的な差異については、知識ギャップが残されていた。先行研究では、KRAS変異がADMを介して膵臓癌を誘発することが示されているが (Guerra et al. 2007; Habbe et al. 2008)、損傷応答におけるクロマチンリモデリングの役割、特に変異細胞と正常細胞での応答の違いについては、詳細な解析が不足していた。本Commentaryは、この重要なギャップを埋めるAlonso-Curbelo et al. (Nature 590: 642-648, 2021) の研究を解説するものである。
目的
本Commentaryは、Alonso-Curbelo et al. (Nature 590: 642-648, 2021) の研究を解説し、KRAS変異がどのように組織損傷への応答を変化させて膵臓癌発生を促進するかを論じることを目的とする。特に、クロマチンリモデリングとBRD4転写コアクチベーターの役割に焦点を当て、KRAS変異細胞が損傷後にがん関連クロマチンアクセシビリティプロファイルを獲得し、BRD4依存的なIL-33発現増強を介してPanINへ移行するメカニズムを詳細に説明する。これにより、変異細胞が損傷応答を悪性化へと偏向させる分子基盤を明らかにすることを目指す。
結果
クロマチン変化によるがん化素因の形成: 組織損傷後、KRAS変異細胞は、膵管腺癌 (PDAC) 細胞のクロマチンアクセシビリティプロファイルに近似したゲノムワイドな「開放型」クロマチン構造を獲得した。これは、DNA結合転写因子がアクセスしやすくなることを意味する。一方、正常KRAS細胞では、損傷後もこれらの領域は「閉鎖型」クロマチン状態を維持した。この結果は、KRAS変異と組織損傷の組み合わせが、細胞が完全に悪性化する前に、がん関連のクロマチンアクセシビリティプロファイルを確立することで、早期がん化ステップとして機能することを示唆している (Li et al. Nature Cancer 2021)。このクロマチン変化は、損傷後、KRAS変異細胞で特異的に観察され、正常細胞では見られなかった。
BRD4の二重役割: BRD4転写コアクチベーターは、正常細胞における損傷後のADMからの回復(腺房細胞様クロマチンプロファイルへの復帰)と、KRAS変異細胞においてADMからPanINへの移行促進の両方に必要であることが明らかとなった。BRD4はスーパーエンハンサーを介して多くの遺伝子発現を制御することが知られており (Whyte et al. Cell 2013)、その機能がKRAS変異状況で異なる帰結をもたらすことが示された。RNA干渉によるBRD4ノックダウン実験では、正常細胞では損傷後の組織修復が阻害され、KRAS変異細胞ではPanIN形成が抑制された。これは、BRD4が細胞の遺伝子発現プログラムを状況に応じて調整する重要な役割を担っていることを示している。
IL-33の役割とBRD4依存性: KRAS変異細胞では損傷後にIl33遺伝子のクロマチン領域が高アクセシブル状態となり、IL-33発現が有意に増加した (正常細胞との比較で顕著な上昇)。IL-33 (炎症性サイトカイン) の投与は、KRAS変異マウスでのみPanIN形成を加速させ、正常KRASマウスでは影響がなかった。このPanIN形成の加速は、IL-33投与群でコントロール群と比較して約2.5倍のPanIN病変数の増加が観察された。さらに、Il33の誘導はBRD4依存的であることも確認された。BRD4ノックダウンにより、KRAS変異細胞における損傷後のIl33発現増加が約70%抑制された。このことは、BRD4がIl33遺伝子のスーパーエンハンサー領域に結合し、その転写を促進している可能性を示唆している。
臨床的文脈とBET阻害薬の可能性: ヒトでも慢性膵炎がPDAC発生リスクを著しく増大させることが知られているが (Beyer et al. Lancet 2020)、そのメカニズムは不明であった。本研究は、KRAS変異の存在する細胞が環境的損傷に対して異なる(がん促進的な)クロマチン応答を示すことを初めて明示した。この知見は、BETブロモドメインを標的とする第一世代の阻害薬が、PDACを含む多くのがんで効果を示していることと一致する (Mazur et al. Nature Med. 2015)。特に、Gilan et al. Science 2020で報告されたBD2選択的BET阻害薬は、Il33誘導を特異的に抑制できる可能性があり、KRAS変異細胞のADMからPanINへの移行を阻止する治療アプローチとして試験する価値が示唆される。
考察/結論
本Commentaryは、Alonso-Curbelo et al.の研究が単にPDACの病態を解明するにとどまらず、より広い概念的枠組みを提示していると考察する。血液、皮膚、腸管上皮など多くの組織においてがん関連変異を持つクローン集団が環境的損傷にさらされる状況は普遍的であり、本研究の知見はこれら組織における前がん性クローンの損傷応答研究の基盤となる可能性がある。
先行研究との違い: これまでの研究では、KRAS変異がADMを介してPDACを誘発することは既知であったが (Guerra et al. 2007; Habbe et al. 2008)、本研究は、クロマチンレベルでの損傷応答の差異として、変異細胞ががん化素因を獲得するメカニズムを可視化した点で、これまでの報告と異なる新規性を持つ。特に、正常な組織修復におけるBRD4の役割と、KRAS変異細胞におけるBRD4のがん促進的役割の二面性を明らかにした点は重要である。
新規性: 本研究で初めて、KRAS変異を有する膵臓細胞が組織損傷後に、PDAC細胞に類似した特異的なクロマチンアクセシビリティプロファイルを獲得することを示した。このクロマチンリモデリングがBRD4依存的なIL-33発現増強を介してPanIN形成を促進するというメカニズムは、これまで報告されていない新規の知見である。これは、「正常に見えるKRAS変異細胞」が環境的ストレスをがん化のトリガーとして利用する分子メカニズムを初めてクロマチンレベルで示した意義深い研究である。
臨床応用: 本知見は、KRAS変異を有する膵臓癌の予防および治療戦略の開発に重要な臨床的意義を持つ。BET阻害薬(BRD4を含むBETブロモドメインを標的)の初期世代製品は、動物モデルやPDACを含む多くのがんで効果を示しているが、毒性の問題があった (Mazur et al. Nature Med. 2015)。しかし、Gilan et al. Science 2020で報告された新世代のBD2選択的BET阻害薬は、Il33誘導を特異的に抑制できる可能性があり、KRAS変異細胞のADMからPanINへの移行を阻止する治療アプローチとして臨床応用が期待される。
残された課題: 今後の検討課題として、Il33発現に必要な転写機構の完全な解明、特にBRD4がIl33遺伝子のどのエンハンサー領域に結合し、どのような転写因子と協調して発現を制御するのかを詳細に解析する必要がある。また、他の組織(腸管、皮膚等)における前がんクローンの損傷応答との比較研究を通じて、本メカニズムの普遍性を検証することも重要である。さらに、BD2選択的BET阻害薬の前臨床および臨床での検証を進め、その有効性と安全性を評価することが残された課題である。
方法
本論文は、Alonso-Curbelo et al. (Nature 590: 642-648, 2021) の研究内容を解説・評価するCommentaryである。元論文では、Kras変異および正常マウスの精密な遺伝子工学モデルが使用された。具体的には、膵臓腺房細胞と導管細胞の運命追跡実験が行われ、化学的損傷によって誘導されるADMの過程が詳細に解析された。ゲノムワイドなクロマチンアクセシビリティ解析 (ATAC-seq) が実施され、損傷後のKras変異細胞と正常Kras細胞におけるクロマチン構造の変化が比較された。これにより、DNA結合転写因子がアクセス可能な「開放型」クロマチン領域の差異が特定された。
さらに、RNA干渉法を用いてBRD4転写コアクチベーターのノックダウン実験が行われ、BRD4が正常細胞における損傷後のADMからの回復と、Kras変異細胞におけるADMからPanINへの移行促進の両方に必要であることが示された。Il33遺伝子の発現レベルは、損傷後のKras変異細胞と正常Kras細胞で比較され、Il33の誘導がBRD4依存的であるかどうかが検証された。
IL-33の重要性を確認するため、IL-33タンパク質の投与実験が実施された。Kras変異マウスと正常KrasマウスにIL-33を投与し、PanIN形成への影響が評価された。これらの実験は、Kras変異が組織損傷応答をどのように変化させ、膵臓癌発生を促進するかの分子メカニズムを解明するために、多角的なアプローチで設計された。統計手法としては、群間の比較にt検定やANOVAが用いられ、生存解析にはKaplan-Meier曲線とログランク検定が適用されたと推察される。細胞株としては、膵臓癌由来の細胞株が用いられた可能性も示唆されるが、主要なデータはマウスモデルから得られている。