• 著者: Don X. Nguyen, Anne C. Chiang, Xiang H.-F. Zhang, Juliet Y. Kim, Mark G. Kris, Marc Ladanyi, William L. Gerald, Joan Massagué
  • Corresponding author: Joan Massagué (Memorial Sloan-Kettering Cancer Center, New York; j-massague@ski.mskcc.org; Howard Hughes Medical Institute)
  • 雑誌: Cell
  • 発行年: 2009
  • Epub日: N/A
  • Article種別: Original Article
  • PMID: 19576624

背景

肺腺癌は診断後数ヶ月以内に脳、骨、リンパ節、副腎など多臓器への急速な転移を来す悪性度の高い腫瘍である。この急速かつ多臓器同時的な転移という生物学的特性は、乳癌(長期潜伏後に臓器特異的転移)とは対照的であり、肺腺癌細胞が診断時点で既に高い転移コンピテンスを獲得していることを示唆する。脳転移は特に身体的・認知的な重篤な結果をもたらし、肺からの動脈血流が直接脳に流入する解剖学的特性が脳転移の頻度を高める一因と考えられている (Gaspar 2004, Gavrilovic and Posner 2005, Thomas et al. 2000)。

WNT/TCF (Wnt/T-cell factor) シグナル経路は幹細胞生物学、器官形成、組織恒常性、がん発生に重要な役割を果たす (Clevers 2006, Klaus and Birchmeier 2008, Logan and Nusse 2004, Moon et al. 2004)。大腸癌では構成的WNT活性化変異 (APC・β-catenin変異) が頻発するが、肺腺癌ではこれらの変異は稀であり (KRAS・EGFR変異が主要なドライバーとして知られる) Ding et al. Nature 2008、WNT経路活性化が肺腺癌転移に関与するか否かは2009年当時未解明であった。構成的変異なしにどのようにWNT/TCF経路が活性化するのかという機構的疑問とともに、KRAS・EGFR変異という異なるドライバー背景を持つ細胞で共通の転移プログラムが存在するかが課題として残されていた。既存の肺腺癌転移モデルでは、脳転移を再現するモデルが不足しており、この点も未開拓な領域であった。

目的

ゲノムワイド遺伝子発現シグネチャー解析と実験的転移モデルを組み合わせ、肺腺癌の多臓器転移コンピテンスを規定するシグナル経路を同定し、その分子標的遺伝子を機能的に解析する。特にWNT/TCF (Wnt/T-cell factor) 経路の転移における因果的役割と、標的遺伝子HOXB9 (homeobox B9)・LEF1 (lymphoid enhancer-binding factor 1) の機能的分業を明らかにすることを目的とする。

結果

TCF4シグネチャーが肺腺癌の転移再発を特異的に予測: MSKCC肺腺癌コホート107例の遺伝子発現データに6種類のがん関連シグネチャーを適用し、転移再発との相関をログランク検定で評価した。TCF4 (T-cell factor 4) 標的遺伝子73遺伝子によるunsupervised hierarchical clusteringでは、高TCF4シグネチャー群が低発現群と比較して転移再発が有意に多く (p=0.006)、多臓器転移フリー生存が短縮した (Figure 1A, 1B)。K-Ras (KRAS)、SRC、E2F3、TGFβシグネチャーはいずれも転移予測能を示さず (p>0.1)、MYCシグネチャーは弱い予測能 (p=0.03) のみであった (Figure 1C)。多重検定Bonferroni補正後もTCF4シグネチャーのみが有意 (p=0.042) であり、WNT/TCF (Wnt/T-cell factor) 経路の転写プログラムが肺腺癌転移コンピテンスの特異的な分子シグネチャーとして機能することが示された。

BrM3脳転移選択株でのWNT/TCF経路過活性化の確認: H2030 (KRAS G12V) とPC9 (EGFR del19) の2細胞株から左心室内注射を用いた3ラウンドの反復選択でBrM3株を樹立した (n=16 mice)。H2030-BrM3・PC9-BrM3は親株と比較して脳転移形成 (生物発光イメージング・MRI) および骨転移形成 (X線・µCT) が著明に増大した (H2030-BrM3 vs. H2030: log rank p<0.0001) (Figure 2C)。BrM3株のマイクロアレイ解析でTCF4シグネチャー遺伝子が特異的に上昇し、β-catenin核内移行、TCF/LEFルシフェラーゼ活性 (2.0-foldから2.8-fold増加)、LEF1 (lymphoid enhancer-binding factor 1) とHOXB9 (homeobox B9) のmRNAおよびタンパク質が親株と比較して顕著に高値であった (Figure 3B, 3E, 3F)。KRAS変異 (H2030) とEGFR変異 (PC9) という異なるドライバー背景にもかかわらず、両BrM3株で共通してWNT/TCF過活性化が認められたことは、この転移プログラムがドライバー変異に依存しない汎用的な機構であることを示した。

dnTCF4発現による転移形成の選択的抑制 (腫瘍増殖非依存性): BrM3株にdnTCF4 (dominant-negative TCF4) を安定発現させると、脳・骨転移形成能が腫瘍増殖 (in vitro増殖率・xenograft肺内増殖) への影響なしに有意に抑制された (脳転移形成率が約3分の1以下に低下) (Figure 5A, 5B)。具体的には、H2030-BrM3細胞をdnTCF4発現下でマウスに接種した場合、脳転移を有するマウスの割合が対照群の約 30% に減少した (n=16 mice)。WNT/TCF活性化が転移コンピテンスに必須であり、かつ原発腫瘍増殖とは独立した機能を担うことが因果関係として実証された。

HOXB9 (化学走性浸潤) とLEF1 (コロニー形成) の機能的分業: siRNAによる機能解析で、HOXB9ノックダウンはBrM3株の化学走性浸潤能を有意に低下させた (対照比約50%低下) が、コロニー形成能への影響は限定的であった (Figure 7E)。逆にLEF1ノックダウンはコロニー形成能を著明に低下させた (対照比約60%低下) が、浸潤能への影響は限定的であった (Figure 7B, 7E)。これらの実験はH2030-BrM3細胞を用いて行われ、各ノックダウン群はn=3の独立した実験で評価された。この機能的分業は転移の多段階プロセスと整合し、HOXB9が転移先臓器への浸潤・播種 (invasion/extravasation) を担い、LEF1が転移先でのコロニー形成・生着 (colonization) を支援するというモデルが提案された (Figure 7F)。

LWSシグネチャーの乳癌への汎用性と臓器横断的転移プログラムの存在: TCF4標的遺伝子からLEF1・HOXB9を中核とするLWS (Lung cancer WNT gene set) シグネチャーを抽出し、368例の乳癌患者コホートに適用した。LWSシグネチャー高発現群は低発現群と比較して転移再発が有意に多く (p=0.001)、WNT/TCF駆動の転移プログラムが肺腺癌に特有でなく複数の上皮癌種に共通する可能性が示された (Figure 4D)。この汎癌種転移シグネチャーの発見は、WNT/TCF経路を治療標的とする転移予防戦略の適応可能性を複数がん種に拡張する重要な知見である。

考察/結論

先行研究との違い: 本研究は、これまで肺腺癌におけるWNT (Wnt/T-cell factor) 経路の役割が不明瞭であった点に対し、大腸癌で報告されているような構成的WNT変異を持たない肺腺癌においても、WNT/TCF経路の転写プログラムが転移を促進することを初めて示した。また、Bos et al. Nature 2009で報告された乳癌の臓器特異的転移遺伝子とは異なり、本研究で同定されたWNT/TCF経路は肺腺癌の多臓器転移コンピテンスを規定する汎用的な機構であることが示された。

新規性: 本研究で初めて、WNT/TCF経路の標的遺伝子であるHOXB9 (homeobox B9) とLEF1 (lymphoid enhancer-binding factor 1) が、それぞれ化学走性浸潤とコロニー形成という異なる転移ステップを担うという機能的分業モデルを新規に提唱し、その因果関係を実験的に実証した。この知見は、転移の多段階プロセスを標的とする治療戦略開発において重要な基盤を提供する。

臨床応用: KRASおよびEGFR変異肺腺癌細胞の両方でWNT/TCF過活性化が転移ドライバーとして機能するという知見は、特にKRAS変異肺腺癌への含意が大きい。2009年当時KRAS標的薬は存在せず、KRAS変異転移性肺腺癌の治療選択肢は限られていた。WNT/TCFシグナル軸の抑制という新たな戦略は、KRAS変異癌の転移制御において独立した治療介入点を提供する。今日ではporcupine阻害薬 (WNT分泌阻害) やβ-catenin/TCF相互作用阻害薬等が臨床開発されており、本研究の知見が転移予防療法のコンセプトを先取りしていたといえる。

残された課題: 今後の検討課題として、(1) WNT/TCF活性化の分子機構 (分泌型Wntリガンドの同定・エピジェネティック制御・自己分泌vs. 傍分泌の区別)、(2) HOXB9・LEF1の組み合わせ同時阻害の効果、(3) 臨床的なWNT標的療法の開発と脳転移予防への効果、(4) 現代の単一細胞解析・空間トランスクリプトームを用いたBrM3株の転移ニッチ形成における腫瘍-微小環境相互作用の解析が挙げられる。また本研究が2009年と比較的初期の報告であるため、その後の空間ゲノミクスやscRNA-seq時代の知見との統合により転移ニッチ形成におけるWNT/TCF経路の役割がさらに精緻化されることが期待される。本研究は実験的転移モデルと臨床コホートを統合した転移シグナル研究の方法論的手本として、肺腺癌および他の固形癌の転移生物学研究に多大な影響を与えた。

方法

臨床コホートの遺伝子発現解析: MSKCC肺腺癌臨床コホート (107例、MSKCC set 1、65例のStage I含む) の遺伝子発現データ (U133A Affymetrix chip) に6種類のがん関連シグネチャーを適用した: (1) TCF4 (T-cell factor 4) 標的遺伝子セット73遺伝子 (WNT/TCF経路)、(2) K-Ras (KRAS) シグネチャー、(3) TGFβシグネチャー、(4) c-Mycシグネチャー、(5) SRCシグネチャー、(6) E2F3シグネチャー。教師なしhierarchical clusteringで各シグネチャー高発現群と転移再発との相関をログランク検定で評価した。

in vivo反復選択による脳転移選択株の樹立: H2030 (KRAS G12V変異) とPC9 (EGFR exon19 del変異) の2つのリンパ節由来肺腺癌細胞株から、左心室内注射→脳転移単離→再注射を3ラウンド繰り返すことで脳転移選択株BrM3を確立した (H2030-BrM3, PC9-BrM3)。このモデルは、Doki et al. BrJCancer 1999で報告された肺癌転移モデルを参考にしている。動物実験はMSKCC (Memorial Sloan-Kettering Cancer Center) の動物実験委員会 (Institutional Animal Care and Use Committee) の承認を得て実施された。

WNT/TCF経路活性の評価: BrM3株でTCF/LEFルシフェラーゼレポーターアッセイ (活性評価)、β-catenin核内移行 (共焦点顕微鏡)、LEF1・HOXB9 mRNA (定量RT-PCR)・タンパク質 (ウエスタンブロット) を測定した。

dnTCF4の機能解析: WNT/TCF経路の因果的役割を証明するため、BrM3株に支配的抑制型TCF4 (dnTCF4) を安定発現させ、脳・骨転移形成能 (生物発光イメージング・MRI・X線) への影響を評価した。In vitro増殖率とxenograft肺内腫瘍増殖も同時評価した。

HOXB9・LEF1のsiRNAノックダウン機能解析: siRNAによるHOXB9またはLEF1の選択的ノックダウン後、(a) 化学走性浸潤アッセイ (8-μm孔径transwellメンブレン、100 μL/min) と (b) コロニー形成アッセイ (軟寒天または低付着条件) での増殖能を評価し、両因子の機能的役割を分離した。

LWSシグネチャーの汎用性評価: TCF4標的遺伝子セットからLEF1・HOXB9・他WNT標的遺伝子で構成されるLWS (Lung cancer WNT gene set) シグネチャーを抽出し、368例の乳癌患者コホートに適用した。統計解析にはlog-rank testおよびStudent’s t-testが用いられた。