• 著者: Kiyotaka Yoh, Yutaka Nishiwaki, Genichiro Ishii, Koichi Goto, Kaoru Kubota, Hironobu Ohmatsu, Seiji Niho, Kanji Nagai, Nagahiro Saijo
  • Corresponding author: Kiyotaka Yoh (Division of Thoracic Oncology, National Cancer Center Hospital East, Kashiwa, Chiba, Japan)
  • 雑誌: Lung Cancer
  • 発行年: 2008
  • Epub日: 2008-05-08
  • Article種別: Original Article
  • PMID: 18448188

背景

胸腺上皮腫瘍、すなわち胸腺腫および胸腺癌は稀な腫瘍であり、転移性または切除不能な病態に対する標準的な全身化学療法が未確立である。このため、新たな治療標的の探索が喫緊の課題であった。近年、受容体型チロシンキナーゼ (RTK) である上皮成長因子受容体 (EGFR) およびKITが、他の癌種において分子標的治療の有望な標的として浮上していた。特に、非小細胞肺癌 (NSCLC) におけるEGFR遺伝子変異陽性患者がEGFRチロシンキナーゼ阻害薬 (TKI) であるゲフィチニブやエルロチニブに対して高い奏効率を示すことが、Lynch et al. NEnglJMed 2004によって報告され、また消化管間質腫瘍 (GIST) におけるKIT遺伝子エクソン11変異がイマチニブへの高い応答性と関連することが広く知られていた。これらの知見は、特定の遺伝子変異がTKIへの感受性を予測するバイオマーカーとして機能しうることを明確に示していた。

胸腺上皮腫瘍におけるEGFRおよびKITの発現状況については、複数の免疫組織化学 (IHC) 研究が先行していた。これらの研究では、EGFRタンパク質が胸腺腫および胸腺癌の両方で高頻度に発現していることが示されていた。一方、KIT (CD117) タンパク質は胸腺癌で高発現するが、胸腺腫ではほとんど発現しないことが報告されていた。個別の症例報告も注目を集めていた。例えば、Strobel et al. NEnglJMed 2004は、KIT変異 (V560del、エクソン11) を有する胸腺癌がイマチニブに奏功した症例を報告し、またYamaguchi et al. (2006) はEGFR二重変異 (G719Aエクソン18 + L858Rエクソン21) を有する胸腺癌がゲフィチニブに奏功した症例を報告していた。これらの症例報告は、胸腺上皮腫瘍においてもEGFRやKITが治療標的となりうる可能性を示唆するものであった。

しかしながら、これらの報告は少数例に限定されており、胸腺腫および胸腺癌におけるEGFRおよびKIT遺伝子変異の全体的な有病率は未解明のままであった。分子標的治療の適応を系統的に検討するためには、これらの遺伝子変異の頻度を大規模に評価することが不可欠であった。先行研究では、IHCによるタンパク発現は報告されていたものの、遺伝子変異の網羅的な解析が不足しており、タンパク発現と遺伝子変異の関連性も不明であった。この知識のギャップを埋めることが、本研究の重要な背景であった。特に、胸腺上皮腫瘍の稀少性から、大規模なコホートでの分子解析はこれまで手薄であった。本研究は、この不足している情報を補完し、胸腺上皮腫瘍の個別化医療への道を開くことを目指した。

目的

本研究の目的は、胸腺腫および胸腺癌のパラフィン包埋検体を用いて、EGFRおよびKIT遺伝子の変異状態を詳細に解析し、これらの腫瘍におけるチロシンキナーゼ阻害薬 (TKI) による分子標的治療の可能性を評価することである。具体的には、EGFR遺伝子のエクソン18、19、21、およびKIT遺伝子のエクソン9、11、13、17における既知の活性化変異の有無を直接シークエンス法により確認することを目的とした。

さらに、免疫組織化学 (IHC) によるEGFRおよびKITタンパク質の発現レベルと、検出された遺伝子変異の状態との関連性を検討し、タンパク質発現が遺伝子変異の適切な surrogate marker となり得るかを検証することも目的とした。これにより、胸腺上皮腫瘍における分子標的治療の患者選択基準確立に向けた基礎的知見を提供することを目指した。本研究は、稀な胸腺上皮腫瘍における分子標的治療の有効性を予測するためのバイオマーカー開発に貢献することを意図している。

結果

EGFR変異解析:胸腺腫における低頻度変異の検出と臨床的特徴: EGFRチロシンキナーゼドメインのエクソン18、19、21のシークエンス解析は、41例中29例の腫瘍で成功した (残りの12例はパラフィン包埋検体由来のDNA品質低下によりPCRが失敗した)。EGFR変異は、解析に成功した胸腺腫20例中2例 (10%) で検出されたが、胸腺癌9例では全く検出されなかった (Table 2)。検出されたEGFR変異はいずれもエクソン21のミスセンス変異であり、エクソン18 (G719X) およびエクソン19 (deletion) では変異は認められなかった。この結果は、胸腺上皮腫瘍におけるEGFR変異の頻度が非小細胞肺癌と比較して著しく低いことを示唆している。

変異が検出された2例の胸腺腫患者の臨床的特徴は以下の通りである。

  1. 症例1: 65歳女性、type A胸腺腫、Masaoka II期、非喫煙者。EGFR exon 21 L858R (2573T>G) 変異を保有し、完全切除後3年間無再発生存中であった (Table 4, Fig. 1A)。
  2. 症例2: 69歳女性、type B1胸腺腫、Masaoka III期、非喫煙者。EGFR exon 21 G863D (2588G>A) 変異を保有し、完全切除後5年間無再発生存中であった (Table 4, Fig. 1B)。 これらの変異は、対応する正常肺組織では検出されなかったため、体細胞変異であることが確認された。両症例とも非喫煙者であり、非小細胞肺癌におけるEGFR変異の危険因子と一致する傾向が示唆された。

EGFRタンパク発現と変異状態の乖離: EGFRタンパク発現は、免疫組織化学 (IHC) により胸腺腫21例中15例 (71%) で陽性、胸腺癌17例中9例 (53%) で陽性であった (p=0.31)。EGFRタンパク発現率に胸腺腫と胸腺癌の間で統計的に有意な差は認められなかった。この結果は、多くの腫瘍でEGFRタンパクが発現しているにもかかわらず、遺伝子変異の頻度が低いことを示しており、タンパク発現と遺伝子変異が必ずしも一致しない可能性を示唆している。EGFRタンパク発現陽性例において、EGFR変異が検出されたのはごく少数であった。

KIT変異解析:胸腺癌における低頻度変異とタンパク発現との著明な乖離: KIT変異解析は、胸腺腫22例および胸腺癌11例で完了した (Table 3)。KIT変異は、胸腺腫では0/22例 (0%)、胸腺癌では1/11例 (9%) でのみ検出された。検出された唯一のKIT変異は、胸腺癌の1例におけるエクソン11のミスセンス変異 (L576P, 1748T>C) であった。この患者は59歳男性、扁平上皮癌、Masaoka I期、20 pack-yearの喫煙歴があり、完全切除後6年間無再発生存中であった (Table 4, Fig. 1C)。エクソン9、13、17では、胸腺腫および胸腺癌のいずれにおいても変異は検出されなかった。このKIT L576P変異も、対応する正常肺組織では検出されず、体細胞変異であることが確認された。

KITタンパク発現の著明な乖離: KITタンパク発現は、IHCにより胸腺腫24例中0例 (0%) で陽性であったのに対し、胸腺癌17例中15例 (88%) で陽性であった (p<0.0001)。この結果は、胸腺癌においてKITタンパクが非常に高頻度で発現しているにもかかわらず、KIT遺伝子変異が極めて稀であるという著明な乖離を示している。特に、KIT陽性胸腺癌15例のうち、KIT変異陽性はわずか1例 (7%) であり、残りの93%は変異以外の機序によるKIT経路の活性化を示唆するものであった。このことは、IHCによるKITタンパク発現のみを根拠としたTKI治療の適用には慎重な検討が必要であることを示唆する。

先行研究との比較と変異頻度の総括: 本研究の結果は、先行する3つの研究 (Suzuki et al. (2006) による胸腺腫38例でのEGFR変異なし、Meister et al. (2007) による胸腺腫17例+胸腺癌3例でのEGFR変異なし、Pan et al. (2004) による胸腺癌21例でのKIT変異なし) と概ね一致するものであった。これらの結果は、胸腺上皮腫瘍におけるEGFRおよびKIT遺伝子変異が稀であり、これらの変異が発癌の主要なドライバーではない可能性を示唆している。この低頻度な変異率は、非小細胞肺癌におけるEGFR変異率 (アジア人非喫煙腺癌で50〜60%) やGISTにおけるKIT変異率 (85〜90%) とは対照的であり、胸腺上皮腫瘍の腫瘍生物学的な特殊性を示唆する。本研究の検討対象数 (n=29〜33) は、先行報告と比較して最大規模であったが、分子標的治療の候補患者が胸腺上皮腫瘍全体の5〜10%程度に留まることを示唆している。IHCによるタンパク発現陽性率 (EGFR: 胸腺腫71%・胸腺癌53%; KIT: 胸腺腫0%・胸腺癌88%) と遺伝子変異率との乖離は、タンパク発現のみを指標とした患者選択の不十分さを示す重要な知見である。

考察/結論

本研究は、胸腺上皮腫瘍におけるEGFRおよびKIT遺伝子変異の有病率を、それまで数例の症例報告に留まっていた状況に対し、29〜33例規模で系統的に評価した最初のまとまった研究の一つである。EGFR変異は胸腺腫の2/20例 (10%) で、KIT変異は胸腺癌の1/11例 (9%) で検出されたに過ぎず、いずれも低頻度であることが明らかとなった。この結果は、胸腺上皮腫瘍においてEGFRやKITの遺伝子変異が発癌の主要なドライバーではない可能性を示唆している。

タンパク発現と変異状態の乖離という中心的知見: 本研究の最も重要な知見は、EGFRおよびKITタンパク質の発現と遺伝子変異の状態との間に著しい乖離が認められた点である。EGFRタンパク質は胸腺腫の71%、胸腺癌の53%で発現していたにもかかわらず、遺伝子変異の保有率は極めて低かった。同様に、KITタンパク質は胸腺癌の88%で強く発現していたが、KIT遺伝子変異は1/11例 (9%) でしか検出されなかった。この乖離は、GISTにおけるKIT変異とタンパク発現の強い関連性とは対照的であり、胸腺癌におけるKIT経路の活性化が遺伝子変異以外の機序 (例えば、過剰発現、リガンド依存性、遺伝子増幅など) による可能性を示唆する。非小細胞肺癌におけるEGFR-TKIの奏功は、EGFRエクソン19欠失またはエクソン21 L858R変異にほぼ限定されるが、本研究で示された変異率の低さから、胸腺上皮腫瘍においてTKI治療を広範に適用することは困難であると結論づけられる。このことは、タンパク発現のみを患者選択の指標とすることの限界を明確に示した。

新規性: 本研究で初めて、胸腺上皮腫瘍におけるEGFRおよびKITの遺伝子変異とタンパク発現の包括的な比較解析を実施し、両者の間に顕著な乖離があることを新規に同定した。これまで報告されていないこの知見は、分子標的治療の患者選択において遺伝子変異解析の重要性を強調するものである。

臨床応用: 胸腺腫で検出された2例のEGFRエクソン21変異 (L858RおよびG863D) は、非小細胞肺癌においてTKI感受性予測変異として確立されているものと同一である。また、胸腺癌で検出されたKIT L576P変異 (エクソン11) も、GISTにおいてイマチニブ感受性変異として報告されている。これらの知見は、EGFRまたはKIT変異を保有する胸腺上皮腫瘍の少数例においては、対応する分子標的治療薬による個別化治療が有効である可能性を示唆する。しかし、その後のイマチニブ臨床試験では、変異のないKIT高発現胸腺癌に対する有効性は限定的であることが示されており、本研究が示したタンパク発現と変異状態の乖離が、治療効果の予測において重要であることが実証された。この臨床的含意は、IHCのみに基づく治療選択の危険性を明確に示している。

残された課題: 本研究の限界としては、パラフィン包埋検体を用いたシークエンス解析の成功率が29/41 (71%) に留まったこと、評価対象外のエクソンにおける変異が未評価であること、および症例数が比較的少なかったことが挙げられる。これらの限界を克服するためには、次世代シークエンシング (NGS) を用いた包括的ゲノム解析による大規模な再評価が今後の検討課題として推奨される。本研究の根本的な意義は、タンパク発現 (IHC) と遺伝子変異状態が必ずしも一致しないという重要な原則を示した点にあり、この教訓は胸腺上皮腫瘍に限らず、分子標的治療の患者選択一般に適用できる。胸腺腫・胸腺癌の分子プロファイリングをさらに推進するためには、国際胸腺腫悪性腫瘍研究グループ (ITMIG) などの希少腫瘍コンソーシアムによる症例集積と生体試料バンクの整備が不可欠である。

方法

本研究では、1993年から2005年の間に国立がんセンター東病院で外科的に治療された胸腺腫24例および胸腺癌17例の計41例のパラフィン包埋外科検体を使用した。全ての検体は、病理医による診断確認と腫瘍細胞が豊富な領域の特定のため、ヘマトキシリン・エオジン (H&E) 染色スライドで確認された後、腫瘍DNAを抽出した。本研究は、当施設の倫理委員会 (Institutional Review Board) の承認を得て実施された。

患者の臨床的特徴は以下の通りである。年齢中央値は61歳 (範囲: 21〜77歳) であり、女性20例、男性21例であった。WHO分類に基づく胸腺腫の組織亜型は、type Aが7例、type ABが7例、type B1が6例、type B2が4例であった。胸腺癌の組織亜型は、扁平上皮癌が14例、腺癌が1例、腺扁平上皮癌が1例、非特定型 (NOS) が1例であった。Masaoka病期分類では、Masaoka et al. Cancer 1981の基準に基づき、I期が15例、II期が8例、III期が9例、IVa期が1例、IVb期が8例であった。外科的治療としては、全切除が36例、部分切除が5例であった。喫煙歴については、非喫煙者19例、元喫煙者11例、現喫煙者11例であった (Table 1)。

遺伝子変異解析は、EGFR遺伝子のエクソン18、19、21、およびKIT遺伝子のエクソン9、11、13、17を対象とした。これらのエクソンは、既報のプライマーを用いてポリメラーゼ連鎖反応 (PCR) により増幅された。PCR産物は、ABI 3100 DNA Sequencer (Applied Biosystems, Foster City, CA, USA) を用いて直接シークエンス解析された。全てのシークエンス反応は、フォワードおよびリバースの両方向で実施された。変異解析は三菱化学安全科学研究所にて実施された。

免疫組織化学 (IHC) 解析では、EGFRタンパク質の発現評価にはDAKO (Carpinteria, CA, USA) pharmDXキットが製造元の指示に従って使用された。KITタンパク質の発現評価には、ポリクローナルウサギ抗体 (A4502; Dako, Glostrup, Denmark) が使用された。両マーカーの染色において、腫瘍細胞の50%以上が染色された場合を陽性と定義した。全てのスライドは2名の観察者 (G.I.およびK.Y.) によって独立して評価され、スコア付けされた。

統計解析には、Fisher’s exact testが用いられ、p値が0.05未満の場合を統計的に有意と判断した。本研究はレトロスペクティブコホート研究として実施された。