• 著者: Strobel P, Hartmann M, Jakob A, Mikesch K, Brink I, Dirnhofer S, Marx A
  • Corresponding author: Alexander Marx (University Institute of Pathology, Würzburg, Germany)
  • 雑誌: New England Journal of Medicine
  • 発行年: 2004
  • Epub日: N/A
  • Article種別: Correspondence (Case Report)
  • PMID: 15201427

背景

胸腺癌 (thymic carcinoma: TC) は稀な縦隔悪性腫瘍であり、確立された全身化学療法が存在せず、転移再発例の予後は極めて不良であった。2004年時点で分子標的治療の可能性が模索されていた背景には、KIT (KIT proto-oncogene, receptor tyrosine kinase) 蛋白の過剰発現が胸腺癌に高頻度に存在するという先行知見があった。KIT蛋白の過剰発現については、Pan et al. (2004) が胸腺癌組織の約80%でKIT蛋白の強発現を免疫組織化学的に実証し、KITが潜在的な分子標的となりうることを示した。同様に Henley et al. (2002) も独立したコホートで胸腺癌におけるKIT高頻度発現を確認し、分子標的治療への期待を示した。消化管間質腫瘍 (gastrointestinal stromal tumor: GIST) の分野では、Demetri et al. (N Engl J Med 2002) がimatinib mesylate (Gleevec) の著明な臨床有効性を報告し、Heinrich et al. (J Clin Oncol 2003) がGISTにおけるKIT exon 11活性化変異を有する症例の93%がimatinibに奏効することを確立した。しかし2004年時点で、GISTで確立されたKIT変異-imatinib感受性の連関が胸腺癌でも成立するかは全く未解明であった。先行研究で何が足りなかったかは以下の3点に集約される: (1) 胸腺癌においてKIT遺伝子変異の存在が分子レベルで証明されていなかった; (2) imatinibの胸腺癌に対する臨床効果を実証した報告が皆無であった; (3) KIT蛋白の過剰発現がKIT遺伝子変異を反映するか否かが不明であり、変異なき過剰発現ではimatinibが無効である可能性 (GISTの経験から示唆) を胸腺癌で検証したデータも存在しなかった。この知識上のgap in knowledgeを埋めるべく、本症例報告はKIT変異陽性胸腺癌における最初の治療経験を提示した。

目的

KIT exon 11活性化変異 (V560del) を有する転移性胸腺扁平上皮癌に対するimatinib 400mg/日の臨床効果と耐性発現過程を詳細に記録し、GISTで確立されたKIT変異-imatinib感受性パラダイムが胸腺癌にも適用可能であるという概念実証 (proof of concept) を提示すること。加えて、KIT蛋白の過剰発現のみではimatinib感受性の予測が不十分であり、KIT遺伝子変異スクリーニングに基づく患者選択の必要性を示すこと。

結果

症例背景・初診時臨床像:54歳男性が2002年4月に胸痛・呼吸困難で発症した。PET-CTで縦隔腫瘤 (7.7×6cm) を確認し、同時に肝酵素値の上昇と多発肝転移を認めた。肝生検 (Fig 1A) では胸腺由来転移性低分化扁平上皮癌 (n=1) と確定診断され、腫瘍細胞はKIT IHCで強陽性 (strong KIT expression) を示した。臨床像はステージIV胸腺扁平上皮癌 (縦隔原発+多発肝転移) に合致した。

KIT分子プロファイリング:KIT遺伝子のSanger法によるpartial sequencingで、exon 11のin-frame欠失変異 (V560del; valine-560 deletion) を同定した。この変異はGISTで活性化変異として既知であり、imatinib感受性と強く関連する。Western blottingでは、KIT自体の構成的リン酸化に加えて、下流シグナル分子 — Akt (protein kinase B)、STAT3 (signal transducer and activator of transcription 3)、MAPK (mitogen-activated protein kinase)、BAD (Bcl-2-associated agonist of cell death) — のリン酸化パターンが、imatinib感受性GISTの分子プロファイルと顕著に類似していることを確認した (Fig 1C 参照)。imatinib投与後には各シグナル分子のリン酸化が顕著に低下し、特にAkt/BAD軸の活性抑制が観察された。この分子的類似性がimatinib投与を合理的に支持する根拠となった。

imatinib初期奏効の経過:imatinib 400mg/日投与開始後、1週間以内に胸痛・呼吸困難が消失した。投与4か月以内に肝転移の有意な縮小と肝酵素値の正常化が得られた。縦隔腫瘍は安定病変 (stable disease: SD) として維持された。GISTのexon 11変異患者では93%の奏効率が報告されており (Heinrich et al. 2003)、本症例はその知見と整合する劇的な初期効果を示した。imatinibが胸腺癌に有効であった最初の文書化された臨床経験である。

耐性発現・最終転帰:imatinib投与6か月後に縦隔腫瘍と肝転移の増悪および骨転移の新規出現を認め、二次耐性 (secondary resistance) が確認された。耐性発現時の縦隔生検では、初診時と同様のKIT強発現とV560del変異が維持されており、KIT二次変異 (secondary KIT mutation) の評価は本報告では実施されなかった (Fig 1A との対比)。注目すべきことに、治療前生検 (n=1) と耐性時生検 (n=1) を比較すると、Ki-67陽性細胞率に著明な減少 (marked reduction in Ki-67 positivity) とアポトーシス細胞の増加が認められた。この所見はimatinibの細胞増殖抑制効果 (cytostatic effect) が6か月時点でも部分的に持続していることを示す。imatinib中止後に放射線化学療法 + 自家造血幹細胞救済療法を施行し部分寛解 (partial remission: PR) を達成したが、初診から全生存期間 (overall survival) 20か月で縦隔・肝・骨の腫瘍増悪により死亡した。著者らは自施設の予備的解析に基づき、KIT活性化変異が胸腺癌全体では少数例にしか認められないことを付記した。

考察/結論

先行研究との違いと本報告の位置づけ:本症例は、GISTで確立されたKIT変異-imatinib感受性の連関が胸腺癌においても成立することを示した最初の臨床証拠である。これまでの研究では、胸腺癌でのKIT蛋白過剰発現が約80%に存在することは知られていたが、変異の存在と治療反応性を実証した既報は存在しなかった。この点が、本症例が既報と対照的に新たな知見を提示した核心である。また、GISTでHeinrich ら (2003) が示したexon 11変異患者での93%奏効率に匹敵する劇的な初期反応が、全く異なる組織型・臓器に発生した胸腺扁平上皮癌でも観察されたことは、KIT活性化変異がtumor type-agnostic (腫瘍組織型を超えた) なimatinib感受性予測因子となりうることを示唆した点で、これまでの研究との相違として特筆される。一方、耐性は6か月という比較的早期に発現しており、GISTで観察される耐性と類似するが、胸腺癌での耐性機序の詳細はこの時点では未解明のままであった。

新規性の意義:本症例が提示した新規なコンセプトは「KIT遺伝子の活性化変異の存在が、腫瘍の組織型を超えてimatinib感受性を規定しうる」というパラダイムであり、現代の組織型非依存的精密医療 (tumor-agnostic precision medicine) の先駆的実証例として位置づけられる。著者らはKIT蛋白過剰発現のみではimatinib感受性の予測が不十分であり、活性化変異スクリーニングが前提条件であることを新規に明確化した。この視点は後続の胸腺癌分子標的治療研究を方向づけ、スニチニブを用いた第II相試験 (Thomas et al. LancetOncol 2015) や、胸腺腫瘍の免疫チェックポイント分子の包括的バイオマーカー解析 (Caruso et al. TrendsCancer 2023) など、後続の精密医療アプローチの概念的基盤となった。

臨床応用と意義臨床的有用性として、本症例は転移性胸腺癌における分子診断 (KIT exon 11 sequencing) の実施を正当化した最初の臨床証拠となった。KIT IHC陽性のみを根拠としたimatinib投与が無効である場合 (GIST研究でも示された) を考慮すれば、遺伝子変異検索に基づく患者選択が治療決定の前提条件であることが明確となった。臨床現場への影響として、本報告は後続の胸腺癌診療においてKIT変異スクリーニングを考慮する契機となり、同時期に発展していた胸腺癌のバイオマーカー研究 (例: Yokoyama et al. ClinCancerRes 2016 のような免疫関連バイオマーカー探索) と並行して、胸腺癌の精密医療化を推進した。さらに、希少癌での分子標的治療開発において、症例集積とバイオマーカー同定を組み合わせたアプローチが有効であることを示した歴史的意義も大きい。

残された課題・limitation:(1) 残された課題として、imatinib耐性発現の分子機序が未解明のまま本報告は終わっている。GISTで知られるKIT exon 13 (V654A) またはexon 17の後天的二次変異、あるいはKIT遺伝子増幅・下流シグナルのバイパス活性化などの耐性機序が胸腺癌においても関与するかは、今後の検討が不可欠である。(2) limitationとして、n=1の症例報告のため統計的推論は困難であり、KIT変異陽性胸腺癌のimatinib奏効率の定量的推定には症例集積が必須である。著者らが指摘した「胸腺癌全体でのKIT変異頻度は稀」という予備的観察も、定量的データの提示がない状態であった。(3) 耐性後のsalvage療法として用いた放射線化学療法 + 自家幹細胞救済療法は部分寛解を達成したものの、最終的には生存期間 (median survival) 20か月という短い転帰に終わり、imatinib耐性後の標準治療が2004年時点で未確立であったことを反映した。(4) Western blottingの定量的データ (具体的なリン酸化レベルの数値、fold-change等) が提示されておらず、imatinib投与前後の分子的変化を定量的に評価できなかった点もlimitationである。future researchの方向性として、imatinib耐性機序の分子解析、KIT変異陽性胸腺癌の前向き症例集積による奏効率の定量化、次世代KIT阻害薬 (アバプリチニブ等) の探索、および胸腺癌における包括的ゲノムプロファイリング (comprehensive genomic profiling: CGP) を用いた変異スクリーニングの標準化が挙げられる。

方法

対象・症例設定:2002年4月に発症した54歳男性1例 (n=1) を対象とした単一症例報告 (case report)。本報告はNEJM Correspondence (letter to the editor) として発表されており、前向き臨床試験プロトコールやNCT (National Clinical Trial) 登録番号は存在しない。

画像・病理診断:PET-CT (positron emission tomography-computed tomography) で縦隔腫瘤および多発肝転移を同定した。肝生検組織のヘマトキシリン-エオジン (H&E) 染色で転移性低分化扁平上皮癌 (poorly differentiated epidermoid carcinoma) を確認し、KIT免疫組織化学染色 (immunohistochemistry: IHC) で腫瘍細胞のKIT強発現を評価した。Ki-67 IHC染色で腫瘍増殖活性を評価した (治療前後で比較)。

分子診断:KIT遺伝子exon 9-13のpartial sequencing (Sanger法) でKIT変異を同定した。Western blottingにより全KIT蛋白および下流シグナル分子 (Akt/protein kinase B、STAT3/signal transducer and activator of transcription 3、MAPK/mitogen-activated protein kinase、BAD/Bcl-2-associated agonist of cell death) のリン酸化状態を評価し、imatinib感受性GISTの分子プロファイルと比較した。本論文はletter形式のため、用いたプライマー配列・PCR条件・抗体クローン番号等の試薬識別子の詳細は省略されている (2004年発表の短報として一般的な慣習)。

治療・評価:GISTの治療プロトコールに準じてimatinib 400mg/日を経口投与した。症状評価、肝酵素 (liver enzyme) 値のモニタリング、CT画像での腫瘍径測定により奏効を評価した。耐性発現後は縦隔生検を再施行して組織学的・分子的評価を行い、次の治療として放射線化学療法 (radiochemotherapy) + 自家造血幹細胞救済療法 (autologous hematopoietic stem-cell rescue) へ切り替えた。KIT IHCにはKIT (CD117) に対する抗体を使用し、治療前後の2時点 (pre-treatment vs. resistance) での記述的比較 (descriptive comparative analysis) を実施した。単一症例のため群間統計は適用しない設計である。