- 著者: Lin Zhang, Siyuan Zhang (co-first), Jun Yao, Frank J. Lowery, Qingling Zhang, Wen-Chien Huang, Ping Li, Min Li, Xiao Wang, Chenyu Zhang, Hai Wang, Kenneth Ellis, Mujeeburahiman Cheerathodi, Joseph H. McCarty, Diane Palmieri, Jodi Saunus, Sunil Lakhani, Suyun Huang, Aysegul A. Sahin, Kenneth D. Aldape, Patricia S. Steeg, Dihua Yu
- Corresponding author: Dihua Yu (dyu@mdanderson.org, MD Anderson Cancer Center, The University of Texas, Houston, USA)
- 雑誌: Nature
- 発行年: 2015
- Epub日: 2015-10-19
- Article種別: Original Article
- PMID: 26479035
背景
PTEN (Phosphatase and Tensin Homolog) 腫瘍抑制遺伝子の発現喪失は、PI3K-Akt経路を活性化し、細胞増殖、生存、浸潤を促進する重要な事象である。臨床観察として、一次腫瘍と転移巣でPTEN発現が異なる症例が多数存在し、特に脳転移巣ではPTEN発現喪失の頻度が高いことが報告されていた。例えば、Gonzalez-Angulo et al. (2011) や Wikman et al. (2012) は、乳がんの脳転移においてPTEN喪失が高頻度であることを示唆している。本研究が行われた2015年以前は、この現象は転移先での細胞クローン選択、すなわちPTEN低発現の悪性クローンが脳転移を形成するという受動的なメカニズムによると解釈されることが多かった。しかし、この解釈では、PTEN正常発現の腫瘍細胞が脳転移を形成するメカニズムや、脳転移巣で観察されるPTEN喪失の可逆性については十分に説明ができなかった。
脳は、アストロサイト、ミクログリア、ニューロン、脳内皮細胞など、他臓器とは異なる固有の細胞構成を持つ特殊な微小環境(BME: brain microenvironment)である。このBMEが転移腫瘍細胞のPTEN発現に能動的に影響を与える可能性については、当時の知見ではほとんど未解明な状態であった。特に、転移微小環境が腫瘍細胞の遺伝子発現を非遺伝的に、かつ可逆的に変化させるメカニズムは、依然として大きな知識ギャップとして残されていた。例えば、Quail et al. NatMed 2013 は腫瘍微小環境が腫瘍の進行と転移を制御することを示唆していたが、具体的な分子メカニズム、特にエクソソームを介した非遺伝的制御については、詳細な解析が不足していた。また、Qian et al. Nature 2011 はCCL2が炎症性単球を動員し乳がん転移を促進することを示したが、脳転移におけるPTEN喪失とCCL2経路の関連性は未解明であった。
本研究は、この「脳特有の微小環境依存的PTEN喪失」という仮説の検証と機構解明を目的としており、Nature誌に掲載された当時のエクソソーム生物学および脳転移研究双方における画期的な論文として位置付けられる。転移細胞が新たな臓器微小環境に適応し、その増殖を促進するために必要な形質をどのように獲得するのかという根本的な問いに対し、本研究はエクソソームを介したmiRNA転送という全く新しいパラダイムを提示した。
目的
本研究の目的は、脳微小環境(BME: brain microenvironment)が転移腫瘍細胞のPTEN発現を非遺伝的かつ可逆的に抑制する機構を同定し、その下流シグナリング(NFκB→CCL2→骨髄細胞動員)が脳転移の増殖に与える影響を解析することである。特に、脳微小環境の主要構成細胞であるアストロサイトが分泌するエクソソームを介したmiRNA転送がPTEN抑制に関与するという仮説を検証し、このメカニズムが脳転移の増殖を促進する「プライミング」として機能することを実証する。最終的には、この新規メカニズムを標的とした脳転移治療の新たな可能性を示すことを目指した。具体的には、in vitroおよびin vivoモデルを用いて、アストロサイト由来エクソソームがmiR-19aを転移腫瘍細胞に転送し、PTEN発現を抑制する分子経路を詳細に解析し、その結果として活性化されるNFκB-CCL2経路が骨髄細胞の動員を介して脳転移の増殖を促進する役割を明らかにすることを目的とした。また、ヒト臨床検体におけるPTEN喪失とCCL2発現、骨髄細胞浸潤の相関を検証し、本研究で同定されたメカニズムの臨床的妥当性を評価することも重要な目的の一つであった。
結果
脳微小環境による可逆的・非遺伝的PTEN発現抑制の実証: 5つのPTEN正常発現乳がん細胞株をマウスに経頸動脈注射し脳転移モデルを構築したところ、脳転移巣において元の細胞と比較してPTENタンパク質およびmRNAの有意な低下が認められた (Fig. 1d, e)。重要な点として、これらPTEN低下脳転移巣から単離した細胞を試験管内に戻すと、PTEN発現が親細胞株と同等レベルまで回復した (Fig. 1e)。さらに、クローナル増殖から得た単一PTEN正常細胞からの脳転移においても同様のPTEN喪失が観察され、PTEN低発現のプレ既存クローンの選択ではないことを示した (Fig. 1d)。単一クローンから確立した脳転移亜株を再培養後に二次的に脳に注射すると、再びPTEN喪失が生じ(IRS 0-3)、二次的MFP腫瘍では喪失せず、再培養ではPTENが回復したことは、脳微小環境依存的な「適応的PTEN喪失」の完全な可逆性を実証した (Fig. 1f, g)。
アストロサイト由来エクソソームによるmiR-19a転送の同定: アストロサイト馴化培地の機能的成分がどの画分に存在するかを検討した結果、エクソソーム画分(CD63+/CD81+/TSG101+)に限定されることが透過型電子顕微鏡(球状膜封入粒子、30-100 nm)とウエスタンブロットで確認された (Fig. 3b, c)。アストロサイト馴化培地中のエクソソームは、同量の癌関連線維芽細胞(CAF)馴化培地と比較して、CD63+/CD81+/TSG101+エクソソームを有意に多く産生していた (Extended Data Fig. 4f, p<0.0001)。miRNA arrayでアストロサイト由来エクソソームに高度に濃縮されるmiR-19a(miR-17~92クラスター成分)が同定され、アストロサイトエクソソームはCAFエクソソームより3.5-fold高いmiR-19aレベルを含んでいた (Extended Data Fig. 4g, p<0.0001)。PTEN 3’ UTRルシフェラーゼアッセイで、miR-19aがPTEN mRNAの3’ UTRの特定結合部位(位置1)に直接結合して発現を抑制することが確認された (Fig. 2f)。miR-19a結合部位変異によりルシフェラーゼ活性が回復し、他の変異では回復しなかったことから、miR-19aがPTEN抑制の主要なメディエーターであることが示唆された。
miR-19aの細胞間転送の定量的実証: Cy3標識miR-19aをアストロサイトにトランスフェクション後、HCC1954腫瘍細胞との共培養で60時間後にCy3+/EpCAM+腫瘍細胞をフローサイトメトリーで定量したところ、CAF共培養より有意に多くのCy3陽性腫瘍細胞が観察された (Fig. 3a, p<0.05)。ギャップジャンクション阻害剤(carbenoxolone)はmiR-19a転送を阻害せず、エクソソーム分泌阻害剤DMA(dimethyl amiloride)またはRab27a siRNAによるエクソソーム産生阻害により転送が抑制されたことで、エクソソーム経由の転送が確認された (Fig. 3f, g)。in vivoモデルでは、アストロサイト特異的なmiR-17~92クラスター欠失(AdGFAP-Cre注入)により、脳転移腫瘍細胞におけるPTENダウンレギュレーションが阻害され、脳転移の増殖が有意に抑制された (Fig. 2d, e, p=0.0024)。この実験ではn=9 miceがAdGFAP-Cre群、n=7 miceがコントロール群であった。さらに、Rab27a/b shRNAによるアストロサイトエクソソーム分泌抑制群では、脳転移腫瘍体積が有意に減少した (Fig. 3j, n=7 mice, p=0.0157)。逆に、Rab27a/b shRNA処理マウスの脳に腫瘍細胞とアストロサイト由来エクソソームを共注入すると、PTENダウンレギュレーションが回復し、腫瘍増殖が促進された (Fig. 3m, n=8 mice, p=0.0091)。
PTEN喪失→NFκB→CCL2→IBA1+骨髄細胞動員軸の確立: miR-19a転送によるPTEN喪失はPI3K-Akt経路を介してNFκBを活性化し、CCL2(C-C Motif Chemokine Ligand 2)の転写誘導を引き起こした (Fig. 4d, e)。PTENを誘導的に再発現させた腫瘍細胞では、CCL2分泌が著しく減少した (Fig. 4b)。CCL2はCCR2+/IBA1+骨髄細胞(腫瘍関連マクロファージ前駆体)を腫瘍部位に動員し、腫瘍細胞の増殖促進およびアポトーシス抑制を来した (Fig. 4f, g)。in vivoモデルにおいてshRNA介在CCL2ノックダウン群ではIBA1+細胞動員が有意に減少し (Fig. 4h, p<0.01)、生存期間が延長した (Fig. 4c, n=8 mice, p=0.027)。また、PTENの誘導的再発現は、脳転移を有するマウスの全生存期間を著しく延長させた (Fig. 4a, n=12 mice, p<0.0001)。
ヒト臨床検体での確認: コホート1(n=139の原発乳がんとn=131の非対応脳転移)の免疫組織化学解析では、PTEN喪失(IRS 0-3)は脳転移巣で71%、原発乳がんで30%と、脳転移巣で有意に高頻度であった (Fig. 1a, p<0.001)。コホート2(n=35の対応ペア:同一患者の原発乳がんと脳転移)での比較でも、PTEN喪失は脳転移巣で71%に対し原発乳がんで37%と、脳転移巣で有意に高頻度であった (Fig. 1b, p=0.0211)。脳転移巣でのPTEN喪失はCCL2高発現およびIBA1+細胞浸潤と有意に相関した (Extended Data Fig. 9b, c, Pearson r=0.371, p=0.028)。これらの臨床データは、PTEN喪失が脳転移特異的な後天的適応現象であることを強く支持する。
考察/結論
先行研究との違い: 本研究は、脳微小環境のアストロサイトが分泌するエクソソームを介したmiR-19a転送によって、転移腫瘍細胞のPTEN発現が非遺伝的かつ可逆的に抑制されるという「適応的PTEN喪失(adaptive PTEN loss)」機構を初めて実証した。これまでの研究では、エクソソームによるmiRNA転送は主に腫瘍細胞から間質細胞への方向、あるいは免疫細胞間のコミュニケーションとして報告されてきた。例えば、Mittelbrunn et al. NatCommun 2011 はT細胞から抗原提示細胞へのmiRNA転送を示し、Peinado et al. NatMed 2012 はメラノーマ由来エクソソームが骨髄前駆細胞を教育することを示した。しかし、本研究はアストロサイトから腫瘍細胞という逆方向の「微小環境発信型EV-miRNA転送」によって、腫瘍抑制遺伝子が後天的に抑制される全く新しいメカニズムを示した点で、これまでの報告と対照的である。
新規性: 本研究で初めて、脳微小環境のアストロサイトが分泌するエクソソームがmiR-19aを転移腫瘍細胞に転送し、PTEN発現を非遺伝的に抑制するという新規メカニズムを同定した。miR-17~92クラスターがPTENを標的とすることは既知であったが、アストロサイトがこのクラスターのmiR-19aをエクソソームで腫瘍細胞に送り込み、臓器特異的に遺伝子発現を書き換えるという機構は、これまで報告されていない。この「適応的PTEN喪失」は、転移細胞が新たな臓器微小環境に適応するための重要な戦略であり、腫瘍細胞の遺伝的変異に依存しない可塑性を示唆する。
臨床応用: 本知見は、脳転移治療の新たな治療標的を複数示唆する点で臨床的意義が大きい。具体的には、(1) Rab27a/b阻害によるアストロサイトエクソソーム産生抑制(in vivoで腫瘍増殖抑制を実証)、(2) miR-19aアンタゴニストによるPTEN mRNA保護、(3) CCL2/CCR2軸阻害によるIBA1+骨髄細胞動員抑制(CCL2 shRNAで生存期間延長を確認)が挙げられる。特に、CCL2/CCR2阻害剤はすでに臨床開発が進んでいる薬剤群であり、本研究の知見は脳転移という臓器特異的適応症への臨床応用根拠を提供する。また、脳転移形成後の腫瘍でPTEN低下状態を確認した後にPI3K/AKT/mTOR阻害剤を使用するという「脳転移特異的薬物感受性プロファイル」の活用も示唆される。
残された課題: 今後の検討課題として、(1) ミクログリアを含む他の脳固有細胞が分泌するEVの役割、(2) 肺、骨、肝臓など他臓器の微小環境においても類似のエクソソーム媒介適応的遺伝子制御が存在するかどうか、(3) 患者血漿中のmiR-19aや関連EVマーカーが脳転移モニタリングのリキッドバイオプシーとして使用可能かどうか、(4) 術後放射線治療などでアストロサイトが活性化した際のエクソソーム分泌変化が脳転移再発に与える影響の解明が挙げられる。これらの課題を解決することで、本研究で確立された「転移微小環境の積極的かつ可逆的な腫瘍形質変換」という新概念の理解がさらに深まり、より効果的な脳転移治療戦略の開発に繋がるだろう。
方法
本研究では、脳転移におけるPTEN発現の非遺伝的制御機構を解明するため、多角的かつ厳密な実験アプローチが採用された。
in vitro実験系: (1) ヒト乳がん細胞株(MDA-MB-231、HCC1954、BT474、MDA-MB-435)、大腸がん細胞株、マウスメラノーマ細胞株(B16BL6)、マウス乳がん細胞株(4T1)と、初代マウスアストロサイト(純度90%以上)の共培養系および馴化培地実験を実施し、PTEN発現への影響を評価した。癌関連線維芽細胞(CAF)やNIH3T3線維芽細胞との共培養も対照として用いた。 (2) miRNAプロファイリング(miRNA array)により、アストロサイト由来エクソソームに高度に濃縮される候補miRNAを同定した。 (3) miR-19aの過剰発現およびアンタゴニスト阻害実験、PTEN 3’ UTRルシフェラーゼレポーターアッセイを用いて、miR-19aがPTEN mRNAの3’ UTRに直接結合し、その発現を抑制することを確認した。 (4) ウエスタンブロットおよびqRT-PCRにより、PTEN、NFκB、CCL2の発現レベルを定量した。 (5) Cy3標識miR-19aをアストロサイトにトランスフェクション後、腫瘍細胞との共培養におけるCy3+/EpCAM+腫瘍細胞のフローサイトメトリーによる定量で、miR-19aの細胞間転送を追跡した。 (6) Rab27a/bのshRNAノックダウンおよびエクソソーム分泌阻害剤DMA(dimethyl amiloride)によるアストロサイトエクソソーム産生阻害実験を行い、エクソソームがmiR-19a転送に必須であることを確認した。 (7) 透過型電子顕微鏡により、アストロサイト馴化培地中の球状膜封入粒子(30-100 nm)を観察し、エクソソームの存在を形態学的に確認した。
in vivo脳転移モデル:
(1) マウス頭蓋内注射および経頸動脈注射による脳転移モデルを確立し、腫瘍体積を測定した。PTEN正常発現の乳がん細胞株を脳に注射後、脳転移巣におけるPTEN発現の低下と、脳微小環境から単離・再培養した細胞でのPTEN発現回復を検証した。
(2) Mirc1 tm1.1Tyj/J マウス(miR-1792クラスターアレルがfloxedされている)に頭蓋内AdGFAP-Creを注入し、アストロサイト特異的にmiR-1792クラスターを欠失させた後、同系B16BL6メラノーマを経頸動脈注射により脳転移を形成させ、PTEN発現および脳転移増殖への影響を評価した。
(3) CCL2ノックダウン(shRNA)モデルマウスの生存期間を解析し、CCL2が脳転移増殖に果たす役割を評価した。
(4) Rab27a/b shRNAによるアストロサイトエクソソーム分泌抑制がin vivo脳転移増殖に与える影響を評価した。
ヒト臨床検体解析: (1) ヒト組織マイクロアレイ(TMA)を用いて、n=139の原発乳がんとn=131の非対応脳転移、およびn=35の一致ペア(同一患者の原発乳がんと脳転移)におけるPTEN、CCL2、IBA1の発現を免疫組織化学(IHC)により評価した。PTEN喪失はIRS(Immunoreactive Score)0-3と定義された。 (2) 統計解析には、Chi-square test、t-test、log-rank test、Pearson相関分析などが用いられ、p<0.05を有意差ありと判断した。